「戒名」は、お葬式の時に何十万円という費用がかかってしまいます。

「そんなにお金がかかるなら、戒名なんていらない」

というような不満もよく耳にします。

とはいうものの、いまでも根強く「戒名」という風習が残っています。

この記事では、戒名とは何のために名付けられるのか、戒名料の問題と併せて考えてみたいと思います。

戒名って必要なの?

戒名は、出家者に与えられる名前

戒名のことを、お葬式などで亡き人に与えられる名前として認識している人が多いと思いますが、本来は出家者に対して与えられる名前のことです。

戒名の「戒」とは「戒め」、つまり仏教者として守るべき掟、規則のようなものです。

これを授けること(授戒)で、はじめてその者の出家が認められます。

つまり戒名は、「あなたはもう俗世間の人間ではなく、仏の道に生きる修行者なのですよ」と、出家者として新たに生まれ変わることを内外に示すためにつけられるのです。

1番分かりやすい例が瀬戸内寂聴さんです。

もとは瀬戸内晴美という名前で作家として大活躍されていましたが、得度を受けて僧侶となり、名を寂聴としました。

この「寂聴」こそが戒名なのです。

瀬戸内寂聴さんのインスタグラム

≪画像元:Instagram≫

生まれ変わりの文化 亡き人もあの世で生きている

新たな人生を生きるということは、これまでの人生と決別することを意味します。

そしてその区切りとして、古い名前を捨てて新しい名前に変えるのです。

これは死や供養の問題とも関わります。というのも、人間は、死者の行方というものを考えてしまう生き物だからです。

「亡くなったあの人は、あっちの世界で元気にやっているかな?」

「いまごろどこをで何をしているんだろうね」

死者の行方を考えてしまうという人間の持つ根源的な習性に応える形で、世界中で宗教が生まれたものだと筆者は確信しています。

死者はいまも生きている。だけどこの世の存在ではない。

だからこそ、この世の名前とは別の新たな名前を与えることで、遺されたものは亡き人の死という現実を受け入れ、かつ亡き人といつづけられるのです。

死後供養を仏教に委ねる

「生きている者と死んだ者の名前を分けるのなら、自分たちで戒名をつければよいではないか」

こう考える人も必ずいます。事実、作家の山田風太郎や落語家の立川談志が自分自身で戒名を作ったのは有名な話です。

なぜ仏弟子にならなければならないのか。なぜお寺から戒名を授けられないといけないのか。

それこそ、私たちは自分たちの手で亡き人の死を受け入れられないからです。

人間の寿命よりもはるか長く続く宗教、そこで語られる死後の物語に死の問題を託すことで、私たちは少しずつ死を受けとめようとします。

それほどに、死別の問題というのは、大きく、深いものがあります。

テクノロジーがこれだけ発達して、それでも戒名という非合理的な慣習が、なんだかんだ言われてもいまでも行われているのは、それほど人間の命が、死が、弔いが、非合理的な営みであることを指しているように思えます。

私たちは自分たち家族の死の問題を解決するために、仏教寺院の僧侶を招きます。

仏教の力を借りて死の問題を乗り越えようとします。

だからこそ、亡き人は仏弟子となり、戒名が与えられるのです。

戒名と戒名料

戒名の相場はあるけど定価はない

戒名の相場は20万円~30万円くらいだと言われています。

もちろんこれは相場ですし、戒名には定価がありません

それは、お寺に支払うお金はあくまでも「お布施」であり、「お気持ち」だからです。

いくら包んだから供養できるという類いではないのです。

本来あるべき姿としては、金額はお布施を包む側が任意で決めるのがよいでしょう。

一方で

「お気持ちでは分からない」

「金額を伝えてほしい」

と考える人も多く、お寺によっては檀家も含めた話し合いの結果、お布施の金額を決めいている所もあるほどです。

最近では、葬儀社に寺院を紹介してもらうケースが増えています。

この場合はお布施の金額は定額制であることがほとんどです。

普段からお寺とつきあいがあれば、わが家の経済事情をあらかじめ伝えておくことができます。

それを汲んでくれるお寺もたくさんあります。

ですから、長い付き合いの菩提寺がある場合は、まずは事前に相談しておきましょう。

しかし、菩提寺に相談しづらい人もいるでしょうし、最近はお葬式ではじめてお寺と出会い、そのとき限りのお付き合いというケースが多く見られます。

このような状況で何十万円というお布施の金額は、高額に思われてしまっても仕方がないでしょう。

どうしても一般的な相場でも高額に思われる人は、お寺を紹介してくれる仲介業者は葬儀社に相談しましょう。

安価で対応してくれるお寺を紹介してくれるでしょう。(執筆者:五十嵐 信博)