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生命保険とは何か? 「貯蓄があれば保険は不要」の嘘

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生命保険とは何か? 「貯蓄があれば保険は不要」の嘘

 皆さん、夏休みをどう過ごされていますか。会社員の方もそろそろお盆休みかと思います。今回は時事的な内容でなく、「きほんのき」的な記事を書きたいと思います(以前、私の事務所HP内でブログとして掲載した記事の内容改定版です)。

 「形が見えて利益をすぐにもたらしてくれるような商品でない生命保険は次第に『家計の敵』にしか見えなくなる。経済評論家や評論家タイプのFPですら、そう思い込んでますからね」と以前別の記事で書いたことありましたが、それでは一体、生命保険とは何か、今回はそこのところを考察したいと思います(以下、主に「生命保険」を論じますが、基本的に「損害保険」でも同じことです)。

生命保険をリスクという視点から見る

 まず、リスク管理論から見れば、生命保険は「リスクの移転」になります。自己のリスクを「保険」という仕組みを使って、複数の他者に移転する、つまり自己のリスクを他者に担ってもらうことを意味します。自分が保険金を受給する場合は、他者の保険料から支払われ、逆に他者が保険金を受給する場合は、自分が支払った保険料から支払われる仕組みです。故に保険は「相互扶助」と言われる所以です。

 この仕組みはリスクの内容や規模がはっきり決っていない「非定型・非定量」的なリスクに対処する場合に有効です。

 死亡保険以外にも、「病気のリスク」に備えるために加入する「医療保険」や国民病と言っても過言ではない「ガンのリスク」に備えるために加入する「がん保険」なども、それに値します。

「貯蓄があれば保険は不要」は本当か?

 ここで最近よく目にするのが、「医療保険やがん保険は加入する必要はない。なぜならば公的医療保険制度で高額療養費制度があるから医療費の上限はある程度決っている。300万円程度の貯蓄があれば対処できる」といった主張です。

 これは一見、正しいように思われます。しかし、病気をしたときの経済的損失は、単に「病気の治療費用のみ」を対象にして十分でしょうか。つまり、リスクの内容や規模を最初から特定してしまって良いのでしょうか、という点です。

 もう皆さん、お分かりと思いますが、家族のうち誰かが入院した場合、治療費だけで済みますか? ということです。

 まず、病気や怪我で入院するのは一生で一回限りでしょうか? 一回限りならもしかしたら300万円で足りるのかもしれません。それといつそのリスクが発生するかあらかじめ分かりますか? 遠い将来のことであれば、その300万円、貯められるかもしれませんが、明日や明後日にそのリスクが起ることも想定しなくていいのでしょうか?

 健康保険の傷病手当金のあるサラリーマンだって、ない自営業者だって、長期に入院したら収入が減り、家計に大打撃ではないでしょうか。スキーで複雑骨折して長期入院した場合、治療費より心配になるのは、収入に対する影響です。有休消化後、傷病手当で標準報酬日額の60%を給付されたとしても、40%減では毎日のやりくりに困りませんか? 仮に通院だけで済んだとして、その間仕事に制限がつきませんか? 完治すれば良いですが、後遺症が残った場合、最悪今の仕事を継続できなくなる惧れだってありませんか? お見舞いに来てくれた人に快気祝等のお礼を何もしませんか?

 共稼ぎ夫婦で協力して子供を保育園へ送り迎えしているご夫婦、どちらかが入院したら、どうなりますか? お金だけの問題ではないでしょう。人手の問題もでてきますよね? それに、入院した夫婦のどちらかの代わりを誰がしても良いというものでもないでしょう。

 それに、年をとれば退院後、完治せず、悪ければ、要介護になるケースだってあり得ませんか? その場合、介護コストはどれぐらい見積もればいいのでしょうか? 現物給付の公的介護保険だけで済む話でしょうか? その結果、介護者である家族が仕事を辞めざるを得ない結果となれば…、と考えていくと、負の連鎖もあり得ることに気づきます。

 私ですらこれぐらいの連想ゲームができます。決して、病気の際は入院・治療費だけ考えれば良いというものではない筈です。

 家族の誰かが入院したとき、その経済的損失がいつどれぐらいなのか、あらかじめ決まっていれば誰も苦労しないのです。それが300万円の貯蓄があれば大丈夫なんて、軽々しく私には言えません。結局、考えれば考える程、キリがありません。

平均モデルを信用する危険性

 よく「統計的には平均◎◎日しか入院しない…云々」のモデル・ケースで説明する評論家が多いですが、そのモデル・ケースさんって具体的に一体誰ですか? 実は「nobody」です。存在してません。

 リスクの性質や規模にバラツキがある訳ですから、これをいくら平均値化したところで、保険会社のアクチャリーが「保険商品」をマス向けにデザインするときに役立つぐらいで、個々の人生を送っている個人には単なる参考ぐらいにしかなりません。自分のリスクは常に「unique」(「ただ一つだけの、他に存在しない、唯一の、固有の、特有の」)に分類され得るからです。

 実際のケースはどうなのか。私の知人は転職後初の会社健診で悪性リンパ腫が見つかり、入院。その闘病記をブログで残しました。彼の悪性リンパ腫は入院治療がメインとなり、入院は約1年半に及び、その記録が主なき後の今もブログとして残っています。

 家族はその間、毎月高額療養費を利用して自己負担上限の8万円~4万円(年収の高い人だったので、その倍かもしれません)を支払い続け、そして毎日のように看病で病院を行き来していたそうです。期間的には障がい年金の申請もまだだったかも知れません。家族にとって、彼の闘病期間は経済的には大きな負担だったと思います。場合によっては家族が看護疲れで病院や民間療法のお世話になることもあり得ます。

 ちなみに彼が医療保険やがん保険、または契約者貸付可能な貯蓄系保険や生前給付型の生命保険に加入していたかどうかは分かりません。

 また、こんな話を先日聞きました。40代前半の奥様が切迫早産で入院されたそうです。治療費のほうは高額療養費制度もありますから、それほど心配要りませんでした。しかし、病院で着る病院着やタオル、スリッパ、洗面用具、レンタル冷蔵庫、冷蔵庫に入れる飲食物、テレビ、テレビ・カード、食事代の一部、雑誌代、見舞いに来る家族の交通費、等、これらは公的医療保険の保険適用外の費用で、高額療養費の対象にはなりません。

 つまり、自腹です。彼女の場合、民間の医療保険に加入していたので、その保険給付金のおかげで、これらの費用に対して。金銭面でそれほど心配せず入院ができたそうです。

 そこへ、20代後半の女性が同じく切迫早産で入院してきたそうです。この女性は結婚したばかりで、かつ住宅も購入したばかり。家計の引き締めに躍起ななか、巷の評論家の意見を参考にして、保険は医療保険含め生命保険は一切加入してなかったそうです。当然ながら、入院中も保険適用外の費用への出費はまかりならずと頑張っていたそうですが、さすがに喉は渇きます。

 そこで、よく病室を抜け出し、廊下の先にある自販機に飲料を買いに行ったそうです。しかし、切迫早産は絶対安静を要します。本来は歩行も禁止です。結局、数日後、子宮口が開いてしまい、危険な状態となり、その病院では手に負えなくなり、大病院へ救急車で転院されていったそうです。結果、入院含む治療費は当初よりもさらにかかることでしょう。勿論、巷の評論家氏はそんなことは露知らずでしょう。

 「病気のリスク」や「ガンのリスク」と、敢えて詳細にリスクを特定した書き方をしなかったのは、このように病気にかかったときの、家族が蒙る経済的損失は、「これぐらいだ」とか「あれぐらいだ」とか、そのリスクの内容や規模を事前に特定できない、尚且つそれぞれの人によって異なるのが当たり前だからです。

 そういったリスクの内容や規模が決っていない「非定型・非定量」的なリスクに対処するのに最も有効な手段が生命保険であり、人類の英知の結晶の一つだと思います。

生命保険とは、宝くじ。その意味は?

 一方でそのリスクの規模が大き過ぎれば、生命保険だけでは対処できないかもしれません。逆にリスクの規模が小さければ、「保険を使わず損をした」という思いを抱く人もいるでしょう。しかし、だからこそ、「非定型・非定量」のリスクなのです。

 当たる人もいれば、そうでない人もいる。何かに似てると思いませんか?

 そうです。宝くじです。

 しかし、宝くじを買って、「当たらずに損をした」という人をあまり聞いた事がありませんね? なぜならば、宝くじを買わなければ、「一等◎億円!」という賞金が当たる可能性のある「権利」を買うことが出来ないことを知っているからです。「権利」なので当たるのも八卦、当たらないのも八卦です。そのことを買っている人の大方は承知してます。

 買わなければ絶対当たらない、買えば当たる可能性を得られる「権利」を得ることができる。つまり、「権利の購入」-「オプション取引」のようなものです。

 生命保険も同じだと思いませんか? つまり、これが今回の本題、『生命保険とは何か?』に対する答えです。

 生命保険とは、「万が一当たれば、保険金が支払われる宝くじ」である

 もし、毎月保険料を支払っているのであれば、「病気になって手術や入院したら」、「病気や怪我で死亡したら」、「がんと診断されたら」等の条件が、宝くじで言う「当たりナンバー」ということになり、保険加入者は「保険金」が当たる「権利」を毎月買っているということになります。通常、支払う保険料の多寡によって、購入できる「権利」の多寡も比例しますので、たくさん買えば当たる確率が上がる宝くじに似てなくもないです。

 また、仮にその保険が貯蓄性がある終身死亡保険や養老保険、年金保険だった場合、お金の使い方としては、条件付きの流動性は確保できてると言えます(契約者貸付等)。医療保険やがん保険、収入保障保険等の定期保険のように掛け捨ての保険の場合、お金の流動性を犠牲して、ある特定のリスク(病気入院時やがん罹患時、死亡・高度障害時)に対して、常に「最悪を想定して準備」をしているようなもので、災害時にしか使えない防災グッズを買って物置にしまっているようなものです。

 言い換えれば、保険には基本的に損とか得とかの見方がある訳がなく、その「オプション」や「権利」の内容・要件が、各社各様で一社も同じものがない訳ですから、その異なる商品性(または換金性)について、それぞれの価格に見合うかどうかの議論があるに過ぎないと思いますし、当たった時に胴元(保険会社)がちゃんと当選金(保険金)を支払ってくれるのか、しっかりと儲かっている胴元なのかを判断する必要があります(誰も潰れそうな胴元にお金をかけないでしょう)

 つまり、くじにもいろいろあるわけですからね。(執筆者:伊藤 克己)


《伊藤 克己》
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伊藤 克己

ゆうゆうFP事務所 代表FP(現在閉鎖) 電機・半導体メーカー退社後、外資系生保と乗合代理店で実務を学び、独立系FP事務所を開業。リスク・ファイナンシングを現場実践している「実践派FP」として顧客利益優先に活動。 寄稿者にメッセージを送る

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