独身女性(自営業)が親類から介護離職を期待され考えたこと ~心地良い金バナ(14)»マネーの達人

独身女性(自営業)が親類から介護離職を期待され考えたこと ~心地良い金バナ(14)

ファイナンシャルプランナーになって10年

ファイナンシャルプランナーの古川悦子さんは、保険会社で、長らく事務職をしていた。

「保険は、お客様と保険会社の『契約』です。保険契約の発効条件を、お客様が全て理解するのは本当に難しいこと。

お客様に契約の完全理解がない中で、『保険事後』が起きた時に、保険金を支払うことができないケースを数多く、見てきました」と。

「ですから、私は一人一人のお客様に向き合って、その方に合った注意喚起(特に支払いを意識したもの)を大切にする保険のアドバイスをしています。

FPになって10年。ここにきて、やっと『自分はこのスタンスでやっていこう』と、何だかサバサバしたものが生じてきました」と言う。

≪古川悦子さん≫


お金は、本来、私達を愉しく、豊かな気分にさせてくれるエネルギー。あなたが「お金の心地いい側面」を感じた時の話を聞かせて下さい!

突然の母の入院

仕事の方向性に腰が据わってきた矢先の昨年12月、実の母が骨折をしました。私は九州出身で、弟二人がいる長女です。母は父を看取った後、実家のある九州で一人暮らしをしていました。

歩いて2~3分のところに母の妹が住んでいたので安心していたのですが、その叔母から、突然、「お母さん、入院したのよ」と電話がきて、非常にびっくりしました。

―「うちのお母さんは大丈夫!」という気持ちがあった?

母は現在82歳なのですが、風邪ひとつひいたことがなかったんです。脳ドックをやると計算が早くてお医者さんがビックリするほどの人だったので、認知症の心配もなくて。

母の介護については、「いずれ」とは思いつつ、そんなに突然やってくるものだとは思っていませんでした。

「介護は『娘』か『嫁』が担うべき」という土地柄

― 突然、介護がふりかかってきたんですね

そうなんです。母の入院の対応については、弟たちに連絡したら、上の弟が「俺が明日帰る」と即断し、仕事をキャンセルして翌朝、九州に行ってくれました。

―ありがたいですね

そうなんですけれど…。娘である私がすぐに帰らなかったことを親戚から責められました。

普段優しい親戚のおばさんがから「お母さん、どんな状態だったかわかる?」と言われるなど、「すみません」と謝るしかない状況に陥ってしまって。

「九州男児」という言葉がありますが、九州という土地柄のせいか、「介護は『娘』か『嫁』が担うべき」という価値観がまだ根強くあることを感じました

― 地域の価値観…

それまでにも冗談とも言えない感じで、「悦子さんが傍にいてくれたら、お母さん、どれほど安心かわからない」と、親戚からはよく言われていました。

弟二人は、それぞれに家庭があり、東京で仕事をしている。独身でファイナンシャルプランナーという自営業の私が、母の介護を担うべきという無言の圧力は感じていましたね。

「東京で、のんびり好きなことをして」というような言われ方をされたこともありました。

―プレッシャーですね

「何かあった時」というのは、「それぞれが内心で思っていたこと」がガっと表面に出てくるものです。

母の入院を機に、上の弟とブツかりました。彼は当初、「長男だから陣頭指揮はとるけれど、蔭の細々としたことは姉がやってくれる」と期待していたと思います。

また、「実家という『住む家』もあるのだし、収入も(母の)年金があるのだから、東京を引き払って、九州で母の介護中心の生活に切り替えても良いのではないか?」という親戚の声も聞こえてきましたし。

― その展開、ありがちそう…ですね

親族が、私に期待をしていた面はあったと思います。なぜなら、(先に逝った)父の介護・相続の際に、私のサポートや事務手続きが完ぺきだったと親戚・母と弟たちに言われていたからです。

ただ、当時の私は会社を退職したばかりで無職だったため、融通の利く生活が可能でした。だから、できたことなんです。

親を看取った後、私の人生はどうなるの?

― それに対して、どんなふうに感じましたか?

「母を看取った後、私の人生はどうなるの?」という気持ちはありました。普通に考えたら、母の方が先に逝くわけで。その先の、私の生活はどうなるの? と。

現在FPとして関わらせて頂いているお客様は、「事務所に来て下さい」という方が多いので、九州に住みながら御要望にお応えするのは難しい。

また、執筆の仕事などを九州でやれなくはないと思いますが、冷静に考えて、私のキャリアで「九州在住」だったら、仕事はそうそう来ないでしょう。

つまり、今、仕事を断るというのは、今の仕事を失うのはもちろんのこと、将来の仕事のチャンスも全て失ってしまうことになるんです。

―「介護離職し、親を看取った後」というのは多くの人が抱えている問題です

私自身は、「一生涯、自分の食い扶持は自分で稼ぎたい」という気持ちがあります。母を看取った後、年金などで生活費が足りなければ、弟たちが経済的に支えてくれるかもしれません。でも、それって弟たちだって、イヤでしょう?

何より、私自身が「自立した生活をしたい。弟たちに迷惑をかけたくない」という気持ちが強くありました。

もっとも親戚と弟2人からは、FPを辞めて、実家に帰って介護中心の生活を強いるような言葉や態度はありませんでした。ただ、自分自身で「そこは絶対に譲れない」という気持ちになっていたのかもしれませんね。

ぶつかった弟とも話合いの中で着地点を見つける



― そのような状態の中、どのようにして兄弟の間で「着地点」見つけたのでしょうか?

ぶつかりはしながらも、時間をかけて相手の立場を理解しあっていきました。兄弟間で、性格が違っていたことが幸いしたのでしょう。

まず、上の弟は、会社で重責を担っているせいか、決断力が抜群。物事をパッと決断してくれました。 施設を選ぶときにも、休暇をとって帰省して探してくれました。

そして、母が一番に希望していた施設に交渉し入居することができました。施設の保証人と緊急連絡先には、上の弟が指定されています。

私はファイナンシャルプランナーという仕事柄、書類手続きが苦ではないので役所や施設との連絡書類は一手に引き受けていますし、唯一の娘ということで、母の身の回りの品を買って届けるという部分も担っています。

下の弟は手先が器用なのを生かして、母が施設に入った後の実家のメンテナンスなどを自発的に行ってくれています。古くなった水道管の修理や庭の手入れの手配は下の弟が行ってくれました。

兄弟3人でできることを分担して行っていて、現在、3人ともに仕事と私生活に何ら支障なく暮らすことができています。母も施設での生活に大満足しているようです。

今回の経験を通じて、親の介護をすることになったら、一人で抱え込まず、兄弟や親戚と、もっとコミュニケーションをとることが大切だと実感しています。(執筆者:楢戸 ひかる)

この記事を書いた人

楢戸 ひかる 楢戸 ひかる»筆者の記事一覧 http://hikaru-narato.com/

マネーワークショップ主宰
家計簿以前の「家計運営の基礎知識」のワークショップを開催しています。
詳しくは、上記アドレスのHP「ワークショップ」を見て下さい。
<保有資格>:FP技能士2級

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