日経新聞のモニター調査によると、遺産を継ぐ立場の約7割が相続財産に期待を寄せているという結果です。相続財産はあればありがたいと考えるだけではなく、「ないと苦しい、将来の資金プランに組み込んでいる」と考えている人も少なくないようです。
しかし、考えてみれば自分で作った財産なのだから、誰に引き継がせるかは、本来は被相続人の自由なはず。相続人が、法定相続分は自分の取り分、権利だと考える方がおかしいのです。
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法定相続分は絶対ではない。遺言が優先される。
民法(第900条)では、法定相続分が決定められています。たとえば、相続人が配偶者と子3人であれば、配偶者1/2、残り1/2を3人で平等に分けてそれぞれ1/6ずつ相続するというのが民法の考え方です。もっとも、最高裁の違憲判決が出て話題になりましたが、現状では子であっても非嫡出子(正式な婚姻外で生まれた子)の場合は、法定相続分が嫡出子の半分になります。
では、相続にあたっては、法定相続分通りに遺産を分割しなければならないのでしょうか?
いいえ、被相続人は、遺言で遺産の全部または一部について、分割方法を指定できるのです。遺言がある場合にはこれに従った分割(指定分割)が行われるので、遺言は法定相続分に優先するといえます。また、共同相続人全員の合意があれば、法定相続分にとらわれず、自由な割合で遺産を分割することもできます。
法定相続分は絶対的なものではなく、実際には被相続人の遺言がなかった場合の基準、遺産分割協議を行う場合の目安として機能しています。遺産分割協議がまとまらなければ家庭裁判所での調停、さらには審判へと進みます。
その過程で、それぞれが感情をぶつけあい、修復不可能な険悪な関係になるというのもよく聞く話です。遺産分割がもめにもめた場合は、結局は「平等」をよりどころとする民法に従った分割が落としどころになるということですね。
遺言は、この財産をこの人に引き継いでほしいという被相続人の意思を反映したものです。確かに法定相続分からかけ離れた不平等な遺言は、相続人間で禍根を残し、いわゆる「争族」に発展することもあります。
また、相続人以外の者に全財産を与えるというような遺言を書かれると、相続人としては黙ってはいられないという気持ちにもなります。でもそれならば、なぜそのような遺言を書いたのか、納得できる理由をきちんと示せばいいのではないでしょうか。
重い障害をもった子の将来を考えて全財産を残したい、介護で世話になった嫁に相続権はないけれど遺産を渡したい、順調とはいえない事業を引き継ぐ長男に財産を多めに引き継がせたい、困っている人のために役立ててほしいと赤十字やユニセフなどに全財産を遺贈するというケースもあるでしょう。
相続は「想い」も引き継ぐもの
相続では、いかに自分の取り分を確保するかというカネ・モノにばかり目が行くからもめるのであって、被相続人の「想い」を引き継ぐという発想を持てば、少しは冷静になれるのではないかと思うのです。
もちろん、だからこそ遺言は、残された者の気持ちに配慮した、フェアなものでなければならないとも言えます。思い付きや一時の感情で不平等な遺言を残すことは、トラブルの種をばらまくようなものです。遺言を書く側にも、人生をかけて築いた財産を、信念をもってフェアに引き継いでもらうという覚悟が必要でしょう。
遺留分と遺留分減殺請求
相続人には遺言に優先する最低限の相続分として、遺留分が認められています。遺言では、遺留分に配慮するというのが鉄則ではありますが、遺留分を侵害する遺言も無効ではありません。相続人が遺留分減殺請求をしなければ、遺言通りに遺産の分割が行われるからです。
付き合ったばかりの若い愛人に全財産を譲るというような遺言をされたら、配偶者や子はほぼ100%遺留分減殺請求権を行使するのではないかと思いますが、生活に困っていないなら、故郷の東日本大震災の被災者に財産を寄付するという遺言に対して、遺留分減殺請求はしにくいですよね。
結局は、被相続人の想いに共感できるかどうかなのではないでしょうか。遺言は、誰にどの財産を与えるという指示ですので、ともすると無機質なものになります。私は、遺言の文言とそれに込められた「想い」の隙間を埋めるものが、エンディングノートだと思っています。
両者がうまく補い合ったとき、想いの詰まったフェアな遺言は、争いを避けるだけではなく、残された者を幸せな気持ちにすることでしょう。(執筆者:草薙 祐子)