ただ「生きながらえる」ことがいいのか

「長生きをしたい」というのはほぼすべての動物の本能であり、願いだろう。では、ただ生きながらえることができればそれでいいのかというとそうではない。

心も体も健康で充実した人生を送り、ある日ぽっくり眠るように逝く、というのが理想だ。だがもちろん実際はそうではないことのほうが多い。

高齢化による医療施設や老人ホームの不足、少子化による年金制度・国民健康保険制度の崩壊など日本の未来は決して明るいとはいえない。

勤労世代の負荷を少しでも減らすためには限られた医療費は有効に使われなければならないのだ。そこで今問題にされているのが終末期医療だ。

身体中にチューブをつけられる入院生活

たとえば日本の病院や施設では、高齢者に対して胃ろうと呼ばれる医療行為が行われることがよくある。口からものを食べることができないので鼻や静脈などにチューブを通したり、腹部に穴を開けて胃に直接流動食を送り込むことで人工栄養をとるというものだ。

自分で呼吸ができなければ気管切開をして人工呼吸器をつけられ、動くことが困難であればおむつをつけられる

ボケているならまだしも、頭がしっかりしているのに入院生活の少ない楽しみの一つとも言える食事をすることもままならず、身体中にチューブをつけられてベッドに縛り付けられる、そんな最期を迎えたい人はいるだろうか。

また、見逃せないのはその医療費だ。保険に加入していない患者が高度先進医療を受けたりすれば、場合のよっては1週間で1,000万円を超える医療費が発生することだってある。

さんざんお金をかけて治療した末に植物人間状態となり、そのまま最期を迎えざるをえないというのは正しい医療なのだろうか。

延命治療は本当に必要だろうか?

本来、人間は終末期を迎えると脳内麻薬であるβエンドルフィンや血中のケトン体の分泌などにより極めて楽な状態で死に至ることができる仕組みになっているらしい。

そんな「安らかな」死は無駄な延命治療によって患者本人にとっても家族にとっても精神的・肉体的、そして金銭的に負担の大きなつらいものに変わってしまうことがある

無駄に命を延ばすだけの延命治療に果たして意味があるのだろうか? 生かせる命を救うのが医療だ。だが、ただ生きるのではなく「どうやって」生きるのか、それこそが大切なのだ。より自然で尊厳ある最期を迎えるために。

閉じ込め症候群の男性が味わった地獄の9年間

病院死にまつわる興味深いデータがある。

ヨーロッパでは病院で死を迎える人の割合は約50パーセントなのに対し、日本では80パーセントにものぼる。これは訪問診療・介護施設の充実など病院外でのケアの充実度や延命治療を望まないなど根本的な死生観の違いにあると思われる。

イングランド南西部に住む元ラグビー選手で土木技師のトニー・ニクソン氏は脳卒中によって四肢が完全麻痺となり、自分の意思で動かせるのは眼球のみという閉じ込め症候群を患っていた。

脳は正常に働いているのに体が言うことをきかない、食べることも飲むことも話すことも笑うことさえできない。そんな状況で生きている意味はないと訴え、その命を絶つことを切実に願った。

ヨーロッパ内で安楽死を合法としている国はベルギー、オランダ、ルクセンブルクのみであり、日本ではもちろん違法である。医療行為として命を終える手助けをしてもらいたければ外国人の自殺幇助を合法としている唯一の国、スイスに行かなければならない。

ただ、この場合服薬など実際の行為は当人が行うことになるためニクリンソン氏には不可能であった。そこで彼はイギリス国内で安楽死または自殺幇助を受けるための訴訟を起こした。9年にわたる裁判の結果は敗訴、これは彼が自然死を迎えた6日後に発表された。

彼の妻と2人の娘たちは彼に協力的だった。彼の生前は彼の願いを叶えたいと奔走し、彼が他界したときには「これで長い長い苦しみから解放された」と愛する夫、父親のために喜びの涙を流した。

そのとき、あなたならどうする?

ニュースで観たり新聞で読んだりするときには、それは他人事であり、患者にとって、また家族にとって最善な方法はこうなのではないか、と冷静な分析をすることが可能だ。だが実際自分がその立場に置かれたときに後悔のない判断が下せるかというと自信がない

「もしかしたら、明日にでもこの病の特効薬が開発されるかもしれない」などという希望を持つかもしれない。それより何より今この場で生きている家族を見て「このまま一分一秒でも長く一緒にいてほしい」と願うのは当然ではないだろうか。

そこで最終的な判断を下すのは医者でも家族でもない、自分自身でなければならない

最近ではエンディング・ノートを作成する人々が増えてきた。終末期が来たら、どのような治療を受けたいか、また自身の葬式など、自分が言葉を発することのできないような状態になっても自分の希望を家族や医師に伝えるためだ。

健康な今のうちに、どんな最期を迎えたいのか一度真剣に考えておく必要があるだろう。(執筆者:小野 雄吾)