フランス、と言えばファッションと高級ブランド。今回は、ゴージャスなおしゃれとモードのイメージを持つ「シャネル」を題材に、あまり外部には語られない歴史とちょっと現実的なオンナの裏話にお付き合いくださいませ。
目次
1・パリのイメージ
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世界中の高級女性誌やおしゃれな雑誌には必ずシャネルの宣伝が出ています。フランスの街中にも大きな広告が出ています。
ココ・シャネルが亡命先のスイスから帰国を許されたのは1954年(第二次大戦後10年経過)でした。
2・シャネルを喜ぶ外国人とバックグラウンド
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1957年当時、世界のセクシーアイコンのアメリカ女優マリリン・モンローはインタビューで「ベッドではシャネルの5番だけ」と発言。モンローのスキャンダラスでセクシーなイメージと相まって、香水の名前は爆発的に世界中に知られます。
次の年、ジャンヌ・モローとロミー・シュナイダーが映画で、1961年にはアメリカパワーの象徴ケネディ氏の夫人ジャッキー・ケネディがシャネルスーツを着用しました。モンローはケネディと愛人関係にあったことも有名です。
世界の都パリの女性ファッションデザイナー、社会で地位を築く新しい女性像とアメリカのウーマンリブ運動、アメリカで成功した有名な女性達、マネーとパワーとスキャンダル。キーワードとイメージがピタリと合い、シャネルはフランスの顔として国外の知名度が上がりました。
3・イリュージョンと経済効果
フランス国民の腹の内は問題ではありません。アメリカ・ドルの勢いは強く、フランスは貧乏。外貨獲得は重要な国務です。
エリゼ宮の晩餐会に彼女やサンローランは招待を受けます。これを一番驚いたのは当の本人達。
フランスには2種類の人がいます。私公共にフランス人だけと付き合う人と、ロビー活動が自益となる外国と関係がある人。昔からのフランス人はよそ者と世間と国の宣伝を相手にしません。もう片方は自分の利益の為、フランスのイメージと幻影とします。
•グルメ
•ワイン
•ライフスタイル
•アート
4・フランス人が言わないワケ
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シャネルの創設者ココ・シャネルは孤児院育ちのお針子。フランスの貴族の愛人としてヨーロッパの社交界に入り、その時の権力者と社交関係者相手にファッションをアートと言い替えビジネスを繰り広げていきます。
ロシア革命の亡命貴族から宝石を買いとり、逃亡を迫られたユダヤ人の調香師から香水の名義を買い取ります。女性を窮屈なコルセットから解放したとされながらも、彼女のビジネスのバックには常に裕福な権力者の男性が居ました。
上流階級の人間は血と財産のリレーが掟です。財産を脅かすビジネスや自分の満足はタブーです。フランスではキリスト教カトリックの影響が強く、自分以外の者に成りたがる成金主義者は眉を潜めさせます。
5・裏切りは許されない
フランスがドイツの占領下時、ココ・シャネルはナチスとゲシュタポ(秘密国家警察)の軍人の愛人となり、多くの恩恵を受けていました。
1944年、連合国軍とシャルルドゴール亡命政府にシャネルは逮捕されますが、英国貴族との関係もあり、英国首相チャーチルの計らいでスイスに亡命しました。
彼女が死亡した後、死体は国内に埋葬することは許されず、スイスのローザンヌに送られました。
さいごに
フランスの高額なブランド品はフランス人の為には作られていません。彼らは自分のトクになることはしゃべりますが、決して外国人に語られない公のタブーも有ります。年配の既婚女性からシャネルという言葉が発せられることは無く、眉をピクリとひそめさせます。
この情報があなたのお役に立てれば幸いです。(執筆者:m.h.edwards)