厚生労働省(人口動態統計)によると、離婚した夫婦のうち、同居期間35年以上のケースは昭和50年にはわずか300組でしたが、平成27年には6,266組に達しています。
これは氷山の一角に過ぎないでしょう。
男性の平均余命は80.98歳に対し、女性は87.14歳なので離婚するより死別する方が金銭的に得なら、妻は「夫が死ぬまで」離婚せずに時間を稼ごうと思うからです。
今回の相談者・石井京子(59歳)も夫(64歳)から何の前触れもなく離婚を切り出され、離婚届にハンコを押して良いものか悩んでいる1人です。
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石井豊(64歳)会社経営者で年収1,200万円
石井京子(59歳)専業主婦 ☆今回の相談者
石井節子(86歳)豊の母
石井大介(30歳)石井夫婦の長男。一般企業の会社員で石井工業を継ぐつもりはない。
石井京子さんが夫(豊さん)から離婚を切り出されたのは1か月前のこと。
目次
生涯現役の夫
子どもたちが自立して以降、夫は毎月20万円の生活費を入れてくれたのですが、夫は会社経営者(石井工業)なので生涯現役。
自宅マンションの住宅ローンはまだ2,500万円ほど残っています。
退職金代わりに小規模企業共済へ加入しており、現在の掛け金は約2,500万円なので夫が現役を引退したら共済金で住宅ローンを完済すれば住居費はゼロ。
さらに夫の厚生年金(月16万円)と個人年金(月3万円)さらに自分の国民年金(月6万円)があれば大丈夫だという算段だったのです。
「離婚」となれば京子さんの人生設計は根底から覆ります
夫は創業者ではなく2代目社長。
父親が立ち上げた会社を受け継いだのですが、自社株の10割を夫が持っています。
父親は12年前に他界したのですが、(母親は健在)夫は一人っ子なので実家の遺産の半分以上を相続したようです。
具体的には代々守ってきた実家の土地建物、墓や駐車場、そして父親が生前に築いた預金や証券、ゴルフクラブの会員権など5,000万円相当。
では夫は京子さんに対して具体的にどのような条件で「離婚して欲しい」と頭を下げてきたのでしょうか?
A. 夫が提示してきた条件で離婚する場合 → 計5,580万円
1. 生活費(+ 5,040万円)
毎月20万円を妻が80歳に達するまで。
毎月20万円 × 21年(252か月)= 5,040万円
2. 住宅ローン(+ 負担なしなので0万円)
毎月17万円を完済(12年先)するまで。
毎月17万円 × 12年(144か月)= 2,448万円
3. 自宅の維持費(+ 負担なしなので0万円)
固定資産税・都市計画税として年20万円、修繕積立金・管理費として月5万円を妻が80歳に達するまで。
(いずれも現在の金額。仮に全期間、金額が変わらないとして)
年80万円 × 21年= 1,680万円。
4. 年金(+ 離婚年金分割540万円)
結婚期間中に夫が納めた厚生年金の2分の1(= 離婚年金分割)年金事務所の試算によると仮に妻が65歳から年金を受給し始めた場合、年金分割によって夫の年金受給額は月3万円減り、妻は3万円増える。
妻が80歳まで健在だった場合、年金分割のメリットは月3万円 × 15年間(65歳~80歳)= 540万円。
5. 夫の特有財産(0万円)
夫が父親から相続した財産は妻へ分与せず
6. 夫婦の共有財産(0万円)
結婚期間中、夫婦で築いた財産(すべて夫名義)は妻へ分与せず
6. 自社株(0万円)
夫が経営する会社の株式(夫10割)は妻へ分与せず
7. 自宅の所有権(0万円)
夫が所有権の10割を持つ自宅マンションは妻へ分与せず
8. 退職金(0万円)
退職金に相当する小規模企業共済は妻へ分与せず
そもそも京子さんは急いで離婚する必要があるのでしょうか?
「夫の希望条件で離婚するパターン」と「離婚せずに夫が亡くなるパターン」の差額を計算してみることにしたのです。
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現時点で夫そして京子さんの余命は定かではありません。
しかし、何らかの期間を設定しないと「死別の場合、妻が合計でいくらもらえるのか」を計算しようがないので仮に
「妻は80歳まで健在」
「夫は遺言を残していない」
という前提で数字を算出してみました。
B. 夫が離婚協議中に死別する場合 → 計8,528万円
1. 生活費(+ 720万円)
家庭裁判所が公表している婚姻費用(生活費)算定表に夫婦の年収を当てはめると毎月20万円が妥当な金額なので夫が生活費を止めてきても裁判所を使えば払わせることができる。
毎月20万円 × 3年(36か月)= 720万円
2. 住宅ローン(負担なしなので0万円)
銀行への返済義務を負っているのは第一に自宅の居住者(妻)ではなく住宅ローンの債務者(夫)。
途中で夫が亡くなった場合、団体信用生命保険(=団信)が適用され、保険金と住宅ローンが相殺される。
3. 自宅の維持費(- 720万円)
固定資産税や都市計画税、修繕積立金、管理費は不動産の所有権者が納めるのが原則なので離婚協議中であっても夫が生きている間は夫が負担。
夫が亡くなると以下7(自宅の所有権)の通り、自宅マンションの所有権の2分の1を京子さんが相続するので、前述の維持費の2分の1も京子さんが負担。
年80万円 × 2分の1 × 18年間= 720万円
4. 年金(+ 遺族年金1,728万円)
夫が亡くなってから自分の年金を受給するまでの間(62歳~65歳)遺族年金を受給できる。
夫の年収から計算すると遺族年金は毎月13万円(× 3年間= 468万円)。
そして妻が65歳で自分の年金を受給し始めると、その分だけ遺族年金から差し引かれます。
遺族年金(月7万円)+国民年金(月6万円)。
妻が80歳まで健在なら15年間(65歳~80歳)まで受け取れるのは計2,340万円。
5. 夫の特有財産(+ 2,500万円)
妻の法定相続分は全体の2分の1。
井上家が代々守ってきた実家の土地建物等、父親が生前に築いた財産は5,000万円相当なので2,500万円を手に入れる。
6. 夫婦の共有財産(+ 400万円)
妻の法定相続分は全体の2分の1。
京子さんいわく800万円の貯金はあるようなので400万円を手に入れる。
6. 自社株(+ 評価額不明)
妻の法定相続分は全体の2分の1なので自社株の2分の1を手に入れる。
中小零細企業の株式は流動性が低く算定困難なので評価額は算出せず。
7. 自宅の所有権(+ 1,400万円)
妻の法定相続分は全体の2分の1。
自宅マンションの固定資産税評価額は2,800万円なので所有権の2分の1(1,400万円相当)を手に入れる。
8. 退職金(+ 2,500万円)
小規模企業共済の場合、契約者死亡の際の第一受取人は「戸籍上の妻」なので妻が2,500万円をすべて受け取る。
このように夫が提示してきた条件で離婚する場合は5,580万円、夫が離婚協議中に死別する場合は8,528万円。
京子さんは離婚せずに夫が亡くなるまで時間を稼いだ方が2,948万円も有利なのです。
「あえて何もしない」を選んだ京子さん

「経済的に不安だ」
「息子が反対している」
などと、のらりくらりと交わしておくという手もありますが、どうしますか?
私は京子さんに尋ねたのですが、京子さんは金銭的な損得はもちろん、35年の結婚生活に終止符を打つ勇気もありません。
今さら齢59歳で「離婚」という二文字を考える気力もなかったようで「あえて何もしない」を選んだのです。
もちろん35年も連れ添った相手に「死んで欲しい」と願うのは罪悪感が伴いますが、夫のわがままを叶えるために不利な条件をのむ義理はないので京子さんが自分の選択を恥じることはありません。(執筆者:露木 幸彦)