ひとり親家庭の支援にも力をいれているファイナンシャルプランナーの新美昌也さんは言います。
「子どもにとって、親から『お金がなくて、ごめんね』と謝られるほど、厳しいことはないんです」と。
なぜ、新美さんは、そうおっしゃるのでしょうか?
1962年静岡県生まれ。ファイナンシャルプランナー。
経済的な問題で高校中退後、奨学金の利用やアルバイトで大学に進学。
この経験を生かし、高校や自治体で進学マネー講演会などを行う。
今春から共同通信社配信で「進学を諦めない教育費支援制度の話」(全15回)の連載を開始。
共著に「これで安心!入院・介護のお金」など。
目次
母と二人で、夜逃げ。新聞奨学生に
―新美さんは、経済的な理由から高校に通うことを断念した経験があると伺いましたが
高校2年生の春。たしか、5月頃だったかなぁ? 母親と私、二人で夜逃げをしました。
父が他人の選挙活動に入れ込みすぎて、借金を作ってしまい…。
「明日から東京に行く」と、母から前日に知らされて、高校にも何も言わず行方をくらましたんです。
―学校からすると、「あの子は、どうなっちゃったの?」という状態ですよね…
そうそう。本当に、「あの子、どうなっちゃったの?」ですよ(笑)。
もし、親から事前に「〇か月後に、そういうことになる」という話でもしてもらえていれば、「友達にお別れを言って」とか考えたでしょうけど、なにせ言われたのが夜逃げの前日だったので。
何かを考える暇もなく、トントン拍子に話が進んでいったというか。
―トントン拍子!?
僕の仕事も決まっていましたしね。
転校手続きをしていないので、翌年の3月までは学校に行けない訳です。
母は住み込みでの就職先が決まっていて、僕はひとまず祖父母の家に身を寄せ、祖母がツテで見つけた仕事(工場勤務)に就きました。
それまで通っていたのは進学校だったので、「大学に行きたい」という気持ちはあったんです。
だから、「転校したいんですけど」と、都内の進学校に行ってはみたんですが、「そういう生徒は、とっていません」と、門前払いされました。
ある日、新聞で、高校2年時の編入募集を見かけて。
どうやら退学者が多い学校だったみたいで、20人~30人くらい募集していました。
試験を受けたら、合格。
新しく通う高校が見つかったのを機に、折り合いが悪かった祖父母の家は出ました。
母は住み込みの仕事だったので、僕は新聞奨学生になりました。
奨学金、アルバイトをフル活用し、中央大学法学部を卒業しました。
―なかなか、ハードな境遇ですね…
今の世の中でも、僕みたいな感じの人はいますよ。
でも、まぁ、高校生で新聞奨学生をやるのは大変でした。
大学と違って、高校は毎日行かなければいけないでしょう?
だから、授業中は、だいたい寝ていましたね。

―生活サイクルは、どんな感じだったんですか?
毎日、午前3時くらいに起きて、まずチラシを挟み込む作業をします。
その作業が、1時間。そこから1時間半くらい配達をして、朝食を食べて登校。
夕方は、授業が終わったら、すぐに帰宅して、夕刊は軽いので1時間ちょっとくらいで配り終わるんです。
あれは、慣れです。
今になってみると「よくできたな」とは思うけれど、やっていた当時は、全く苦ではなかった。
僕みたいな高校生もいましたしね。ただ、雪の日は大変でしたね。配達時間が、3倍、4倍かかりますから。
―高校生といえば、まわりは部活をしたり、恋愛をしたりしているのに…
彼女は、いましたよ(笑)。高校の同級生。
ただ、大学受験をしようと思って高校に行ったのに、通っていた高校は就職する子ばかりだったので雰囲気に流されて、全く勉強はしませんでした。
だから、浪人しちゃって。でも、猛勉強して一浪後は、慶応、早稲田、中央、学習院…、受験した大学は、全部受かりました。
当時は、法律家になりたかったから、中央大学の法学部を選び、進学しました。
―浪人時代も新聞奨学生だったんですか?
浪人時代は受験勉強に集中しました。
新聞奨学生は、高2~高3の夏ごろまでと、大学1年~3年までやりました。
大学4年から就職するまでは学習塾の講師などをしていました。
新聞奨学生制度は、住む場所と食事を提供してもらえて、奨学金ももらえる制度ですからとても助かりました。
この制度がなければ、僕の人生は大きく変わっていたと思います。
高校、予備校、大学の学費は、この奨学金とアルバイトで稼いだお金で、支払いました。
ただ、大学生になると集金業務もあるので、学生時代に司法試験の勉強はできませんでしたね。
「卒業後、司法試験の勉強は2年間だけやろう」と、決めて挑戦しました。
司法試験の勉強を断念後、国家試験受験指導校LEC東京リーガルマインドに就職。
支社長としてやりがいを感じていたが、キャリアアップのため転職。
全く畑違いの伊藤忠保険サービス(株)(現伊藤忠オリコ保険サービス(株))で約10年間法人営業(新規開拓)を経験。
営業当初からFP的手法を取り入れ、在職中はダントツでトップの成績をあげた。
この経験を生かし、さらなるキャリアアップを目指して2004年独立系FPに。
「お金がなくて、ごめんね」と謝られると子供は辛い

―新美さんは、奨学金や進学資金に詳しいFPというイメージがありますが
そうですね。奨学金や進学資金に関しての相談業務は14年間やっていますから。僕のライフワークです。
経済的な理由で進学を諦めている生徒が僕の話で希望を持てれば、と願っています。
親御さん向けの進学資金相談会はもちろん、僕が高校に出向いて、学生本人の学費面の進路相談に乗る機会もあります。
ご家庭の経済状況は、「母子家庭ですけれど、進学できますか?」「生活保護世帯ですけれど、大学に行けますか?」など、色々です。
ただ、彼らは前向きなので救われます。
相談に来る生徒や保護者はいいんです。
問題は自分の境遇を嘆いて、最初から進学を諦めている生徒や保護者です。
彼らに情報をどのようにしたら届けられるのかいつも悩んでいます。
―新美さんは高校時代、「何で自分だけが、こんな目に」とは思わなかった?
そうですね。持って生まれた性格が大きいのかもしれませんが、そもそも「他人と自分を比較する」という発想がないんです。
生きていれば、色んな問題にぶつかるものです。
その時に、僕は基本的には逃げない。
「逃げずに、問題を乗り越えることができた」という成功体験が、次の試練の「足場」になっていくというか…。
―なるほど!
ひとり親家庭のご相談を受けていて、ひとつ、思うことがあるんです。
ひとり親のご家庭は、親御さんご自身が他人と比較して、引け目を感じてしまっていることが多いんですね。
気持ちは、すごくわかります。
けれども、自分の経験を思い返してみても、引け目を感じる必要はないと思うし、かえって逆効果だと思うんです。
―逆効果?
「お金がなくて、ごめんね」と、親に謝られてしまうと、子供の側としては、かえって辛いと思うんです。
僕には、そういう経験がないんですが…。
だって、お金がないのは、しょうがないじゃないですか。
「お金がない」という現実は何をやっても変わらない。誰かに文句を言ったところで状況が変わる訳ではないから。
「今、自分が置かれている状況」を変えたいのであれば、一歩でも、半歩でも、自分自身で進むしか選択肢はない。少なくとも、僕はそうでした。
人間関係の基本は、信頼と尊敬

―新美さんのお母さんは、「お金がなくて、ごめんね」とは言わなかった?
言いませんでした。
もっとも、新聞奨学生の当時、(住み込みで働いている)母とは会っていませんでしたけれどね。
たまの休みは、彼女と会っていたから(笑)。
でも、たまに会う時、母は普通でした。
「夫の借金が原因で離婚。自分は、高校生の息子の面倒を見ることができない」という状況は、母親としてはつらかったと思うんです。
母自身、将来の生活に対して、不安も抱えていたと思います。
でも、母は、元気にふるまってくれた。
母が元気だったというのは、僕にとっては、すごく大きかったですね。
―なるほど…
確かに、学生時代、僕は経済的に苦しかったかもしれない。
けれども、今、その時代のことを思い返してみると、「それなりに楽しかったな」と、感じるんです。
「人がなかなかできない、いい経験をしたな」と。だから、思うんです。
たとえ今、経済的に苦しくても、将来、豊かになれば、「過去になった今」の評価は、「いい経験をしたな」ということになると。
―本当に、そうですね…FPとしては、どんなことを心がけていらっしゃいますか?
相談業務は、ベースに信頼関係がないと、話すら始まりません。
どんなに完璧なプランニングでも、相手が「聞く耳」を持ってくれなければ、届かないんです。
学校現場に通っていると、つくづく色々な状況のお子さんがいるということを痛感しています。
そんな、ひとり、ひとりの、立場や状況を尊重するアドバイスを心がけたいと思っています。
社名のT&RのTはTRUST(信頼)、RはRESPECT(尊敬)です。
人間関係の基本は、信頼と尊敬だと思っています。
この気持ちを生涯忘れないために社名にしました。(執筆者:楢戸 ひかる)