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そもそも家計簿って必要?
そんなに贅沢しているつもりは無い。しかし、ふと気付くとお財布はレシートや小銭でメタボ気味。諭吉氏とはお給料日直後以来すっかりご無沙汰している。「あぁやっぱり家計簿つけないといけないのかなぁ・・・」。収入の多少にかかわらず、子育て世代や年金生活突入世代の多くが経験する苦悩である。
そして「・・・」の部分を文字にすると
・でも、面倒なんだよなぁ
・でも、どうせまた続かないんだよなぁ
・でも、家計簿つけてる時間無いんだよなぁ
・でも、家計簿つけてもお金が湧いて出るわけじゃないしなぁ
こんなところか。親に相談しようにも、親もお金に余裕なさそうだし余計な心配をかけるだけ、あるいは家計簿つけなさいとどうせ言われるだろう。お金に余裕ありそうなママ友に相談したところで気分は逆撫でされる。お金の本を立ち読みしても、やっぱりファイナンシャルプランナーは「家計簿は重要です」って言う。そして苦悩はエンドレス。そもそも、家計簿はつける必要があるのだろうか。
答えはこうである。予算内でやりくりできれば家計簿つけは不要。そうでなければ、やりくりできるまで「家計簿なるもの」は必要。
なんだ、やっぱり必要ってことなんじゃん。
まぁそうなんですけど。。。
家計簿をつけるポイントは?
重要なポイントは、ずっとつけなければいけないシロモノではないという点と、家計収支全部をつけなければいけないということもない、という点である。と私は考えている。
日々のやりくりでいっぱいいっぱいという相談者の中には、ライフプランに関心が無いと言い切る人がいる。今がこんなに大変なんだから、この先真っ暗なのはわかりきっている、そんな余裕無い。そりゃそうである。不安が巨大すぎて、ライフプランなんて考えられないはずだ。
もしこういう状態の相談者にファイナンシャルプランナーがうっかりキャッシュフロー(将来の家計予測)表なんて作ってしまったらイチコロである。傷口に塩を塗り、チリパウダーをトッピングするようなものだ。「いっぱいいっぱい」であれば、家計簿よりも、相談よりも、先にすべきことがある。家族年表作りである。はい。ただ家族の年表を作るだけです。
なぜ?
終わりがわかるから。これが理由。
誰しも経験があるだろう。眠たい午後のつまんない授業。耐えられたのは、時間になれば終わるからである。「いっぱいいっぱい」も同じことだ。いつまで続くのか、どの時期にどのくらいのボリュームで「いっぱいいっぱい」なのか見通しを立てることで、不安はゼロには決してならないが小さくなる(場合が多い。授業開始のチャイムの直後「あと50分かぁ」とがっかりした、あのケースでは必ずしも小さくならない)。
終わりが見えて少しだけ気持ちに余裕が生じたところで、予算内でやりくりできるかを自分に問う。自信があれば家計簿は不要である。なぜならば、必要な貯蓄分を除いた残りで予算を立てれば、収入やライフスタイルが変わっても対応できるからだ。
一方、自信がなければ「家計簿なるもの」は必要である。何にどれだけ支出しており(現状把握)、本来ならいくらでやりくりすべきかを検討し(予算化)、予算内でやりくりできているかチェックする。それができなければ、今感じている先々の心配は一生つきまとう。かもしれない。
家計簿はいつまでつければ良いの?
最初に家計簿をつけはじめてから予算内でやりくりできるまで、最短で1ヵ月、私の知る最長で4年半である。たった4年半でこの先のお金に関する不安ががっつり小さくなるのだから、今気付いてラッキーである。ただし、当初3ヵ月くらいが面倒くさい、つい忘れちゃう期間。以降は慣れる。そして慣れた頃、大体予算を意識した消費生活に切り替わる。
「家計簿なるもの」の目的は予算化にある。だから費目はぶっちゃけ何でもよいし、極端な言い方をすれば品目限定でもよい。お総菜が多いなと思えばお惣菜だけ、コンビニでつい余計な買い物をするのをコントロールしたければ、そのコンビニについてだけでもよい。家族旅行やママ友ランチがネックなら、それだけでも構わない。要は予算の中でやりくりできないものだけをチェックすればよい。
注意すべきは、多くの場合お金を使う人と管理する人が同一であるためチェック機能が十分に働かない点である。家計予算は人それぞれなので目安も基準も存在しないが、一度他人の視点で予算をチェックすると盲点に気づけるかもしれない。