9月3日に「第二次安倍改造内閣」が発足しました。当内閣にとっては、これから福島県知事選や沖縄県知事選、消費税10%への決断、来年には通常国会での集団的自衛権の審議や統一地方選など、多くの正念場も控えています。
その様な中、首相は会見で自ら「実行実現内閣」と命名し、「経済対策」に最優先で取り組み、デフレ脱却を目指すと強調しました。
目次
アベノミクスを振り返る
そこで、今回は安倍政権の経済政策を表す、「アベノミクス」について改めて考えてみたいと思います。「アベノミクス」とは、言わずもがな「2012年12月に発足した第2次安倍政権で安倍首相が打ち出した経済政策」のことになります。首相の名前とエノコミクスとかけあわせて「アベノミクス」という訳です。
そしてこの「アベノミクス」は、デフレからの脱却や、一定の経済成長の達成など、日本経済の再生をめざすもので、政権はこれを実現するために、
(2) 機動的な財政政策
(3) 民間投資を喚起する成長戦略
という、いわゆる「3本の矢」政策を打ち出しているのは周知の通りです。
レーガノミクスとは?
では、ここで「アベノミクス」の言葉の元となったとも思われる「レーガノミクス」について、考えてみたいと思います。
一般に「レーガノミクス」とは、1981年に就任したアメリカのロナルド・レーガン大統領による一連の経済政策のことをいいます。サプライサイド経済学やマネタリズムを論拠として、それまで需要側を重視してきた政策から、供給側を重視する政策に切り替えたのが特徴といわれています。
レーガン大統領の就任当時、アメリカは景気後退しているのにインフレが起こるという、いわゆる「スタグフレーション」の状態にありました。
前民主党政権の政策が「企業の活動を阻害し労働者の勤労意欲を奪った」などとの主張から、レーガン氏は、市場原理と民間活力を重視し、軍備拡張する一方で、歳出削減と減税を行って刺激政策をとりました。
主な政策としては、
(2) 規制緩和を通じて生産性を向上させる。
(3) 国防以外に関する歳出を削減して軍事支出を拡大し、強いアメリカを実現する。
(4) 通貨供給量を抑制させる金融政策を取る。
などです。
レーガンの経済政策は減税による供給面からの経済刺激を主張するサプライサイド経済学に基づいており、スタグフレーション下での物価上昇という弊害を抑えるために「通貨高政策」を前提条件にしていました。
よって、急激な軍事支出の増加と並行して行われた減税は、巨額の財政赤字と累積債務の劇的な増加をもたらし、結果として、1983年頃には景気はいったん回復しましたが、その先には、政府の財政赤字が深刻化し、また通貨供給の抑制が金利上昇、ドル高、貿易赤字拡大と波及し、いわゆる「双子の赤字」問題へと繋がって行くのです。
米国の負債は、後任のジョージ・H・W・ブッシュ就任時にはレーガン就任時と比較しておよそ200%も増加していたとも言われており、その後、ドルを下落させるためのプラザ合意へと向かうことになります。
急激なドル高の結果、輸出は競争力を失い停滞する一方、輸入品が急増し、これが大幅な貿易赤字につながっていったものと思われます。
そして、プラザ合意を経て、86年以降ドル高は急速に修正されますが、やはり為替レートが変化しても貿易収支が変化するまではタイムラグがあり、貿易赤字拡大のスピードが止まるのは2年後の88年ころからとなりました。
アベノミクスとレーガノミクスの違い そしてその先は?
このようにザックリ言って「インフレ対策」のレーガノミクスに対して、「デフレ対策」のアベノミクス。よく、語感や響きからか、同様の政策と勘違いされるようですが、増税・減税のあり方や為替政策一つとってもかなり違う(どちらかというと反対の政策に近い)ものだということです。
そして、今後改造後の新内閣で更に「アベノミクス」を実行して行くことになると思いますが、筆者的に若干懸念することがあります。それは、(勿論デフレさえしっかりと脱却していないのであれば対策は必要だと思いますが)デフレ対策の行き着く末に、それが行き過ぎて、今度はインフレ対策(スタグフレーション対策)、すなわち「レーガノミクス」の導入にならなければよいが…ということです。
ちなみにインフレ(スタグフレーションへの懸念)については、マネ達(スタグフレーションとならないよう… 良いインフレと悪いインフレ)でも以前に書いていました。(執筆者:阿部 重利)