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1991年 ソ連崩壊とともに誕生したロシア
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それまでの社会主義計画経済による生産性の低い企業と雇用を補助金で支えていたために、ロシア政府は慢性的な財政赤字を抱えていた。
そして財政赤字の拡大によるロシアの通貨ルーブルの信用力低下は国内にインフレを引き起こしていた。インフレ抑制策のため、ロシア政府はルーブルの金利を高めに設定。
「コリドール(目標相場制)」の採用
為替制度には外貨に対するルーブルの変動幅を一定範囲内に抑える「コリドール(目標相場制)」が採用されていた。つまりこの時点でルーブルは実質以上の価値があるように見せられ、また将来的にそうなるように人為的に仕向けられていたといえる。
当時のロシア政府は外国向けに短期国債を発行することによってその財政赤字を埋めようとしていた。コリドールによって為替の安定化が図られていたこともあり高金利のロシア短期国債は順調に消化されていった。
むろんこれは外国向けの債務が急速に増加することを意味する。
1996年 税収が減少、政府の財政赤字は増える
当時ロシアの経済は石油や天然ガスなど天然資源の輸出により支えられていたがIMFが融資の条件として課した輸出関税の撤廃や世界経済の低迷による原油価格の下落が災いして税収が減少しており、政府の財政赤字は増える一方であった。
1997年7月 国債価格暴落
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アジア通貨危機が発生して投資マインドの減退が起こった。
危機に陥ったアジア諸国は海外短期資金に頼っていた国が多かったため、それと同じ体質を持つロシアからも資金流出が発生しルーブルの減価圧力が高まった。
IMF(国際通貨基金)、世界銀行や日本政府などから総額226億ドルにも上る緊急支援をとりつけてルーブルを買い支えたが短期国債の償還が重なったために利払い、償還を含む国債費がついに税収を上回ってしまった。
ロシア政府が為替市場介入するも…
ロシア政府は当初、為替市場に介入してルーブルを買い支えると同時に政策金利を引き上げてルーブルの安定化を図り資金流出に歯止めをかけようとした。しかしこの行動でロシアが歳入不足の補填として多く発行していた短期国債の金利が跳ね上がり、支出に占める利払い費を激増を招いて財政はますます苦しくなった。
一方でルーブルの買い支えのために外貨準備高が急速に減少してゆく事実がルーブルに対する不安を誘因してさらなるルーブル売り圧力となって襲ってきた。
危機を察知した国際資本の流出が続いて国債価格は暴落。利回りはなんと170%に達した。
1998年8月17日 ついにロシアは観念した
ロシアが採った具体的措置は、
1. 民間の対外債務の支払いを90日間猶予する(モラトリアム)
2. ルーブルの変動幅を従来のUSD1=6.2ルーブルの上下15%から、USD1=6~9.5ルーブルへ拡大(ルーブル切り下げ)
3. 1999年末までに償還期限のくる短期国債を長期国債に強制的に乗り換えさせる(デフォルト)
4. 海外居住者による短期的なルーブル資産への投資を禁止する
というものである。
実質的な
だ。
国内銀行は営業停止となり、預金封鎖がおこなわれ、国民が銀行に預けていた資産は国に没収されることになった。ロシア国民は閉ざされた銀行の門の向こうで粛々と自分の資産が奪われてゆくのをただ見ているしかなかった。
タンス預金などでわずかに残ったルーブルの価値も地に落ち、国民の生活は窮乏したのは言うまでもない。
デフォルトを経たロシアは銀行決済システムの機能不全などの原因で生産活動が落ち込み一時的に失業率が上昇し、雇用環境が悪化した。
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1999年 ルーブルの為替安定化
しかし1999年からは切り下がったルーブルと主要な輸出品である原油価格の高騰などで輸出産業主導急速な復活を遂げてゆく。
為替政策的にもロシア政府がドルとルーブルが連動するように為替介入を始め、ユーロとも為替が連動するように通貨バスケット制を導入することでルーブルの為替安定化を図った。これは海外の投資家にロシア投資に対する安心感を与えた。
2000年 就任したプーチン大統領がおこなったこと
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・所得税、法人税、付加価値税などの税制改革
・産業構造の多様化
・土地売買の自由化
などにより、海外からの投資が完全に戻り、その後10年近くにわたり年率5%の経済成長を遂げたのである。(執筆者:玉利 将彦)