先日TBS日曜劇場『集団左遷』が全話終了しました。
銀行が舞台のドラマで、同枠『半沢直樹』と比較されたり、主演の福山雅治の演技が話題になったりなど、注目を集めた作品でした。
『半沢直樹』のときもそうでしたが、銀行員である私はドラマを毎週楽しみにする反面、日曜の夜というタイミングも加わり、翌日の仕事に思いをはせるなど、少し複雑な心境で視聴してきました。
そこで今回は
をテーマにして、銀行員の私が、ドラマを見て感じたいくつかの違和感についてお話ししたいと思います。
「銀行を舞台にしたドラマと現実」といった切り口で完全に内容がわかってしまう「ネタバレ」とは少し違う話しになると思いますので、ぜひ最後までお付き合いください。
【現役銀行員が語る】ドラマ「集団左遷」のリアル(全4回)
目次
集団左遷は本当にあるのか?

ドラマ『集団左遷』では、廃店が決まっている支店の支店長となった主人公の奮闘を描いていました。
これが私の答えです。
懲罰的な意味合いでの「左遷」
あからさまに、しかも1か所に集めまとめて左遷するなど少なくとも上場企業、ましてや公共性が求められる銀行では考えられないことです。
実績重視であることは、ある意味他の業界より厳しいことは事実で、その弊害として不正融資やニュースをにぎわす不祥事の遠因になっていることも否定できません。
しかし、実績の芳しくない「ダメ社員」は給料面でエリートと差が開いたり、配属先がへき地になったりなど、本人がそうした待遇に耐えられるなら勤務し続けるでしょうし、イヤなら辞めていく、ただそれだけのことです。
こうした話は何も銀行に限ったことではなく、競争社会ではどこの会社にもあることです。
ですから廃店が決まっている店にダメ社員を集めること自体現実性に乏しく、やはりドラマであると感じます。
廃店は並大抵のことではない
廃店は並大抵のことではなく、従ってダメ社員を集団左遷させる場所でもないということです。
銀行にとって支店の統廃合は日常茶飯事、経営戦略に応じて新規出店と廃店を並行していくものです。
しかしその一方、たった1つの支店でも、廃店するのは並大抵のことではありません。
新しい支店を出店することは、調査から始まり慎重な検討の結果、やっとGOサインが出るといったように重要な決断です。
そうした結果作った支店を今度はなくすわけです。
考え方はいろいろあるでしょうが、銀行が出店を決めた判断が誤っていたとも取られかねないのです。
また、廃店と一言で言いますが、決定から支店最後の日に至るその道筋にはそれこそいくつもドラマがあると言えるほど、廃店するのは並大抵のことではありません。
廃店の現実について

なぜそこまで断言できるかというと、私自身廃店に立ち会った経験者だからです。
自分の経験と照らし合わせると、お客さまからの不満や苦情と向き合い続ける毎日で、ドラマのように支店の中で励まし合ったり笑ったりしたことはあまり記憶にありません。
もちろん楽しいこと、やりがいを感じた瞬間もあったと思いますが、それらが記憶に残っていないのは、やはり「支店がなくなる」というネガティブな空気に包まれていたからだと思います。
私が経験した廃店までの時間はちょうど1年間でしたが、今までの銀行員生活とは全く異なるもので、貴重な経験と言えば聞こえが良いでしょうが、正直「もう一度やれ」と言われて選択権があるなら、きっぱりお断りさせていただきます。
年齢的なものもありますが、やはりメンタル面であの空気感をもう一度味わうことは勘弁願いたいからです。
その一方で、廃店のとき一緒だったメンバーとは今でも連絡を取り合っています。
自己都合以外では全員銀行に残っていて、この点でも集団左遷は現実にはあり得ないと(少なくとも私の経験上では)断言できます。(執筆者:加藤 隆二)