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「銀行を舞台にしたドラマと現実」の第2回目
ドラマは主人公の熱血支店長が奮闘するストーリーですが、では熱血支店長は現実にいるのでしょうか?
と私は思います。
それは銀行支店長という人種が非常に複雑だからです。
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銀行支店長は孤独
私は支店長ではなく、また支店長経験もない勤続30年の中間管理職ですから、銀行支店長の本音については語れないかもしれません。
しかし経験上数多く、またいろいろなタイプの支店長を見てきました。
そして全ての支店長に共通することは「銀行支店長は孤独」ということです。
銀行支店長も、組織の中では私と同じ「中間管理職」ですが、1つの支店を任されていると言う意味では「経営者」でもあります。
一般的に銀行支店長に人事権はなく、不正防止の意味合いから支店長自身の転勤も当日まで知らされることはありません。
ある意味経営者として重責を背負っていながら、反面では他の行員と同じく自身の転勤は当日まで知ることができない、支店長とはそういう役職なのです。
ではなぜ支店長は孤独なのでしょうか?
その独特な立ち位置から「上下」どちらとも仲良くなりきれない
支店長から見た「上」は役員や頭取で、「下」は部下です。
自分より上の人間である役員などとは月に1回会議くらいでしか会うことはありません。
その反面、毎日部下たちの仕事を見ることが支店長の責務ですので、やはり「下」とも打ち解けることはできません。
銀行員になった以上、「リアルな到達目標」
夢と希望に満ちあふれた新入時代を過ぎ、世の中や会社のことが分かってくるようになると、まさに「リアルな到達目標」が支店長です。
目標としている人に対して、部下の行員たちとしても良い意味で打ち解けることはできないもので、このように支店長とは実に孤独な存在なのです。
実際にこうした孤独と、「支店業績」というもう1つの重荷に耐えきれず心身不調となった支店長も何人か見てきました。
孤独だからこそ、熱血支店長はあり得ない

ある支店長からはこんな言葉を聞いたことがあります。
下とは部下のこと、上とは出世のことです。
部下のことばかり考えている支店長は出世できないということなのです。
実際に私が見てきた支店長の中には、常に派閥や人脈のことしか考えておらず、目の前の行員とは話しすらしようとしない人もいました。
この人とは3年間一緒の支店で仕事をして、すごく出世をしましたが、面と向かって会話したのは2回くらいしかありませんでした。
そして、上記の支店長につかず離れずそばにいた人間はどんどん出世して、今では皆支店長です。
彼らは共通して上(支店長)しか見ていませんでした。
私情がこもっているかも知れない点否定はしませんが、個人差はあっても支店長になる人間とはこういう人種なのでしょう。
ですから、ドラマのような「部下思い」で「部下のためなら我が身のことなど顧みない」熱血支店長はあり得ないといえます。
私の経験として残念な結論ではありますが、この部分はドラマのほうが現実であってほしいとも思っています。(執筆者:加藤 隆二)