30歳で亡くなった中原中也には子供が二人いましたが、長男の文也は、中也の亡くなる前年、2歳で亡くなり、その数日後に生まれた二男の愛雅も中也が亡くなった翌年に亡くなりました。
死期を予感してか、中也は日記に遺言書のようなものを書いています。
この日記は、亡くなる1年ほど前に書かれていました。
目次
亡くなる1年前、長男 文也へ

二代がゞりなら可なりのことが出来よう。
俺の蔵書は、賣らぬこと。
それには、いろいろ書込みがあるし、何かと便利だ。今から50年あとだって、俺の蔵書だけを十分讀めば詩道修行には十分間に合う。
迷わぬこと。
とあります。
生前詩集を1冊出しただけで、まだ世間に認められていなかった中也にとって「無念」の想いを長男に託したのでしょう。
蔵書という遺産
68歳で亡くなった筆者の父も、預金こそ残しませんでしたが、我が家には父の書いた数冊の本があります。
同人誌「北斗」や地方の新聞に連載していたもので、重版され印税の入る見込みはありません。
相続税上の価値はありませんが、家族にとっては父の著作物は「父の想い」を継ぐ大切なものです。
同時に多くの蔵書を残してくれました。
当初、本は神聖なものとして育てられた筆者も売ることは考えていませんでしたが、30年近く経過し、自分自身の終活もあり、まずは自身の本を整理し売りに行きました。
そしてほとんどがゼロ円で、10円の値がついたらいいくらいの驚きの結果でした。
車にいっぱい詰め込み行きましたが、ガソリン代も出ません。
値が付かなかった理由
筆者は本に傍線を引く癖があり、そのため売り物としては価値がないそうです。
そして父の蔵書も確認したところ、30年前なら価値がありましたが、現在、古い文学書では、ますます価値はないとのことでした。
中也の母フクさんと弟思郎さんに会った筆者
筆者は学生時代に生家のある山口まで行き中原中也の母フクさんと実家を継いだ弟思郎さんに会っています。
アポなしで訪問しながら、思郎さんは快く歓迎してくれ、
と僕に、話してくれました。
いったん生家で別れた後、思郎さんから連絡があり、お酒を飲みに誘われました。
そこでは、遺族である思郎さんから「みんな中也の事だけを聞きたがる、俺のことには関心がない」ときょうだいとしての複雑な胸の内も話されました。
中也のお墓の場所を聞いた同年配と思しき警察官は、
とぼやかれてしまいました。
きょうだいの中で有名人が出て、しかも亡くなっている場合、残されたご遺族の想いは筆者には計り知れません。
蔵書に価値はなくても

中原中也の書き込みのある蔵書は中也研究に必要で価値のあるものですが、筆者の父の蔵書では経済的には価値がなく、相続税上の心配もないことが確認できました。
現在のコロナ禍で、本屋に行かず、父の書棚にある本を再度確認していると、本の読了日が記載され、感想も書いてあり、そのことで父の精神史が読み取れます。
戦中戦後に活躍した作家の関連本で、今では手に入りにくい本を発見したり、筆者が買ったのと同じ本を父の書棚で見つけたりすると思わずニヤリとしてしまいます。
中也の子供は早くに亡くなってしましましたが、中也の友人である小林秀雄、大岡昇平達により中也の想いは引き継がれ、現在も生きています。
歴史のある家では蔵書もたくさんあり、それを相続することもありますが、想像するほど価値がないことも覚えておくと、がっかりする気持ちが半減すると思います。(執筆者:1級FP、相続一筋20年 橋本 玄也)