筆者は、ベーシック・インカムに関する記事コラムを2016年7月に寄稿した。
社会保障制度の改革は、日本をはじめ高齢化が進む主要国にとっては共通の課題である。
もちろん、国によって基礎的状況(出生率・平均寿命・人口構成・社会情勢・国民性)など事情は異なるだろうが、いずれの国においても社会保障制度は大きな改革を求められており、国家財政のみならず国の行く末を左右する大きな問題である。

目次
社会保障サービスのあり方「ベーシック・インカム」という考え方
社会保障制度の効率化や持続性の問題を解決する一つの手段として、欧州を中心にしばしば議論に上がる社会保障サービスのあり方が「ベーシック・インカム/Basic Income」という考え方だ。
ご存じない読者もいることだろうから、ベーシック・インカム(本稿では、略して「BI」と表記する)について、一言で分かり易く説明をすると、
がBIである。
もしも年金や生活保護などの社会保障給付の全てが、BIに一元化されれば、行政の無駄を大幅に削減できるという効果も期待できる。
大人も子供も等しく、国民一人ひとりへ機械的に現金が支給されるので、保険料納付など年金を受給するための条件を設ける必要はないし、生活保護の給付を受けるためのさまざまな手続きや自治体との駆け引きも基本的に要らなくなる。
今回の選挙戦でも社会保障全体の争点の一つとして議論して欲しい
衆議院の解散総選挙が決まる数日前に、安倍首相は記者会見で、高齢者へ偏った現在の社会保障制度を「全世代型」へと転換したいと表明した。
その上で、2兆円規模の幼児教育無償化などの新政策を実施するため「消費税率を10%へ引き上げる際の財源を活用する」ことを争点の一つとして、2017年10月28日投開票の衆議院選挙に臨むことになった。
総選挙に際し、消費増税で生まれる財源の使途変更のぜひが、国民に問う争点として相応しいかどうかはともかくとして、社会保障給付の対象として、若い子育て世代に目が向けられたことは大いに歓迎したい。
しかしながら、高齢者の年金・医療・介護に偏重した我が国の社会保障費制度を全世代型へ転換するとの安倍首相の方針表明からすると、2兆円規模の幼児教育無償化はいまだ小さな話に過ぎないのかもしれない。
一方で、消費増税で見込んでいた財政健全化への手当てが減ることにより、政府債務の増大を抑えるための基礎的財政支出(プライマリー・バランス)の黒字化は遠のき、社会保障制度の持続性が益々困難になったと国民の多くが不安になったことだろう。
小池百合子東京都知事が率いる「希望の党」の結成で、与党有利と見られていた総選挙の結果がどうなるかは予断を許さないが、与野党が将来の社会保障全体のグランドデザインを争点の一つとして大いに議論する選挙戦になって欲しいと筆者は期待したい。
その中で、文字通り、「国民全員に定額の現金を一律に支給する全世代型の社会保障制度」であるBIのコンセプトが、少しでも議論の対象になってくれたらと思うが、今のところ与党や主要野党の選挙公約には、BIの考え方に近い社会保障制度の提案はない。

海外ではBIの実験や導入への活動が実際に行われている
読者の多くは「全国民に最低生活保障として定額の現金を一律に支給する社会主義的な社会保障制度なんてあり得ない」と考えるかもしれないが、主に海外では、BIの実験や導入を目指す活動が実際に行われている。
2016年6月に、スイスでBI導入の是非を問う国民投票が実施された。
全国民を対象とした最低生活保障は、残念ながら国民の78%が反対という結果となったが、BIの推進派は「BIで生活の最低保障を得ることができれば、仕事を選びやすくなり、より生産的で創造性の高い仕事に従事し易くなる」と主張していた。
また、国民投票の結果はともかく「誰もが生活の心配をせず自己実現に挑めるようになる」という理想の社会実現に向けた社会運動を起こした意義は非常に大きかったといえよう。
さらに、人工知能(AI)やロボット技術が発達し将来多くの雇用が失われることに備える必要があるという観点からも、BI導入の是非を国民に問うたスイスは先見の明があり素晴らしいと筆者は感じた。
近年、欧州を中心にBIの議論は盛り上がり始めており、オランダでは一部の都市が実験の準備を進め、フィンランドも調査に乗り出している。
カナダでもオンタリオ州で2016年にBI導入の実験をすると報じられた。
特に、北欧では貧困対策と社会保障のあり方を財政だけでなく、人権・人道の問題として捉える傾向が強いことも影響していると考えられる。
民間企業が主導してBIの実験が行われているケースもある
国家や州政府といった自治体だけでなく、民間企業が主導してBIの実験が行われているケースもある。
米国シリコンバレーの有名なスタートアップインキュベーターの中に、Y Combinatorという会社がある。
同社が予定しているBIの実験について詳細が明らかにされた。
同社は、3,000人の参加者を米国内の2つの州から集め、彼らをまず2つのグループに分ける。
・ 2つめのグループの2,000人は、月に50ドルを受け取る
という設定がされた。
同社は、地元行政機関および政府と連携し、BIがすでに人々が受けている社会保障と対立しないよう調整もしっかり行なっている。
実験の目標・ゴールは「無条件でお金を受け取った人のQuality of life(生活の質)と仕事へのモチベーションはどうなるのか?」というシンプルなものだが、人にとって悩ましい問題の答えを見いだすことであり非常に興味深い。
Y Combinatorのサム・アルトマン社長はもちろんのこと、他の多くのシリコンバレーの人たちは、BIを支持もしくはBIに関心を示している。
彼らは「今後数十年のうちに人の仕事が広範囲にわたってAIやロボットによって奪われる」と経済学者たちが考えていることに対し、BIが解決策となりうると考えているからだ。
AIやロボットに対する脅威については、スイスのBI推進派の人たちと認識が共通している。
BI支持者は、BIが人々を貧困から救い生活水準を底上げ、より大きな繁栄を生み出すと主張し、一方の懐疑派は、BIは仕事を通じて収入を得ている人々から仕事へのモチベーションを徐々に奪うと反論している。
これまで、BI導入の議論に結論をもたらすような長期的な実験は米国では行われてこなかった。
Y Combinatorの実験は、米国史上最大級の実験であり、これまで先進国ではほとんど見られなかったデータが提供されることが期待される。米国におけるBIの実現可能性を確認できるであろう。
フェイフックの創業者CEOであるザッカーバーグ氏も、ベーシッ・クインカムの導入を提唱している。
2016年5月に、ハーバード大学の卒業生に対してスピーチを贈ったザッカーバーグ氏は、その中で「生きていくのに必要なお金をすべての人が無条件で受け取れる、ユニバーサル・ベーシック・インカムの導入」を提唱している。
『GDPのような経済指標だけでなく、どれくらいの人が有意義だと感じられる役割に就いているのかといった観点からも発展の度合いを測る社会にすべきだ』
『誰もが新しいことにチャレンジできるよう、何らかのクッションを作る必要がある。そのためにもユニバーサル・ベーシック・インカムのようなシステムを検討すべきだ』
と訴えるザッカーバーグ氏のスピーチは非常に説得力があり共感できる内容だ。
日本でもBI導入の実験は行われている
規模はかなり小さいものの、日本でもBI導入の実験は行われている。
ホリエモンこと堀江貴文氏が主宰するイノベーション大学校において、2017年9月に実験がスタートした。
規模は小さいものの、茨城県川根村で5名のメンバーを対象にベーシック・インカムとして毎月10万円が支給され、メンバーはその資金を生活費としても自身のアクティブな活動の為にも自由に使えるとのこと。
実験の模様を毎月レポートで掲載をしている。

BIの考え方を日本中に広めて欲しい
日本では、ほとんどの国民がBIの基本的なコンセプトすら知らないが、筆者は、自民党の小泉進次郎氏にBIをぜひ知ってもらいたいと思う。
いや、小泉氏くらい将来を嘱望されている政治家であれば、BIの持つ可能性を認識していて当然だろう。
「子ども保険」 の創設・導入を提唱し、またかねてより「なぜ社会保障の予算だけが、毎年1兆円増えるのが当たり前なのか。
「社会保障に切り込まなければ、本当の財政再建はできない。消費税率を上げるたびに社会保障を良くしたら、いつまでたっても財政再建が進まない」と主張している彼であれば、持ち前の人気と発信力で、全世代型の社会保障制度のあり方として、BIの考え方を日本中に広めて欲しい。
BIは、増大する一方の社会保障費を抑制し、国民の将来不安を和らげる切り札ともなり得る「大きな発想の転換」でもあるからだ。
現実的にBIを導入するためには、少なくとも3つの大きな課題をクリアする必要がある。
・ BIの財源をどう賄うか?
・ 現行の社会保障制度(とりわけ公的年金)からBIへ制度変更するためには、10年単位の長期移行期間が必要になる
長期にわたる制度移行期間は仕方がないとして、BI支給額は、現在の国民年金(老齢基礎年金)給付額の水準もしくは、毎月10万円程度が目安になろう。
ただし、財源は安定財源の間接税である消費税がメインとなり、税率は10%どころか20%前後もしくはそれ以上の消費税が避けられないかもしれない。
もしそうなれば、現在の社会保険料負担の大半は消費税に置き換わることになろう。
BIの実現性はともかくとして、将来の社会保障の在り方を全国民が真剣に議論するきっかけなることが重要なのだ。
最後に
将来不安から消費を手控え、地道に貯蓄に勤しむ国民が多い日本にとって、BIというセーフティーネットが確保されれば、消費に前向きになる可能性はあるし、働き方もより柔軟性を増してQuality of lifeの向上も期待できよう。
もしかしたら、北欧諸国並みの高い消費税率もあり得るが、税や社会保険料の徴収(歳入庁の創設!?)が大幅に簡素化・合理化されれば、行政の無駄を格段に省くことができ、歳出・歳入の両面から財政収支改善への道も開ける。
安倍政権の存続の是非や、小池氏人気にあやかる野党勢力のうわべだけの論戦に終始することなく、安全保障や原発問題、アベノミクス継続の是非とともに、全世代型の社会保障制度について真剣かつ中身のある議論が今回の総選挙で提起されることを強く願いたい。(執筆者:完山 芳男)