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老後対策が不要だった時代
終身雇用というコトバがあります。
意味するところは、「終身、つまり死ぬまで雇われの身で働く」ということです。
終身雇用というコトバが生まれた頃、働く期間と一生という時間は、ほぼ同じでした。
あるいは、定年退職して間もなく、人は生涯を終えていたわけです。
働く期間と生きている時間がほぼ同じなら、「老後」と呼ばれる期間は、ほんのわずかな短い時間となります。
あらたまって、「老後対策」など考える必要もなかったわけです。あるいは、考えているうちに死んでいた(笑)。
老後の始まりと終わり
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一転して、今、老後はとてつもなく長い時間となってしまいました。
「老後の対策」を考える時、まずは、「老後」がどのくらいの長さとなるか、想定しておく必要があります。
65歳を「老後の始まり」としても、異論はないと思います。
では、終わるのはいつとすべきか。
ありがちなのが平均寿命を用いるという手法。
老後に必要なおカネを算出するケースなどにおいては、なんの疑いもなく平均寿命で生涯が終わるという前提で話が進んでいきます。
残念ながら、平均寿命を前提にすることには複数の問題点があります。
まず、平均寿命そのものが少しずつ長くなっているという事実があります。
現状、20年で3年くらいのペースです。
仮に、40歳のサラリーマンが老後対策として貯蓄を始めたとして、定年を迎える頃には「3年分も不足している」という事態になってしまいます。
また、いわゆる平均寿命は「ピリオド平均寿命」と呼ばれるもので、ここには医学の進歩による長寿化傾向の要素が抜け落ちています。
逆に、加味されたものは「コホート平均寿命」と呼ばれます。
後者がより現実に近いと言われており、「人生100年時代」を提唱した『ライフ・シフト』でも採用されました。
同著には、「日本人は特に長生きする」との記述もあります。
「老後を蓄えで」という発想がすでに非現実的
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人生100年説に立ち、老後の終点を100歳前後とすれば、平均的日本人は「働く期間」と「老後の期間」が、ほぼ同じとなってしまいます。
現状の職業人生を前提に、銀行金利や公的年金の動向をふまえつつ、人生100年を乗り切ろうとすれば、可処分所得の半分近くを蓄えておき、老後にそれを使い切るといったライフプランを強いられることになります。
どう考えても非現実的と言わざるをえません。
老後は、蓄えで何とかできるほど、短い期間ではないということです。(執筆者:金子 幸嗣)