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今は、日本人の2人に1人はがんに罹患し、3人に1人はがんで死亡する時代です。医学の進歩や新しい治療法の開発で、がんは必ずしも死に直結する病気ではなくなってきている(※)といわれますが、それでも、もし自分自身ががんと診断されれば、その心理的ショックは大きく、誰もが死というものを意識することになるでしょう。
「なぜ自分ががんになったのだろう? あとどれだけ生きられるだろうか? いや、死にたくない」と自問自答をし、深刻な不安にさいなまれるに違いありません。本人が受ける心理的衝撃の大きさはいうまでもありませんが、実際にはその配偶者であるパートナーが本人以上に動揺し狼狽することも少なくいでしょう。
(※)がん発症後の5年生存率をみると、初期がんであれば5年後の生存率は90%を超えている。がんの病期(ステージ)はⅠからⅣの4段階に区分されている。ステージが低い早期の段階で治療するほど、がん発病後の5年生存率(5年後に再発・転移が見つからず治癒されたと診断される)は高まる。
がん告知、医師の前で夫婦喧嘩に
筆者が数年来にわたって、資産運用相談をお受けしているAさんご夫妻(50歳代後半)で、夫であるAさんが実際にがん告知を受けました。大腸がんで、運悪くリンパ節への転移が見られる進行がん(ステージⅢ)です。Aさんご夫妻には子どもはおらず、夫婦2人で長年仲睦まじく旅行や趣味などを楽しみながら暮らしてきましたが、Aさんのがん罹患をきっかけとして、夫婦の間に微妙な隙間風が吹いてきたのです。
Aさんががんに罹患されたことを筆者が知ったのは、Aさんが実際にがんと診断されて2週間ほど経過した頃、ご夫妻が保有されている金融資産ポートフォリオの定期チェックのため、奥様一人で筆者の事務所へお越しになった時でした。
面談では、ポートフォリオの運用状況の説明をする予定でしたが、もっぱらAさんのがん告知について、そしてこれから発生する多額の治療費や夫婦の老後資金についての話に終始したのはいうまでもありません。
奥様は、Aさんががん告知を受けたことに対するショックからは、幾分落ち着きを取り戻されてはいましたが、やはり気持ちの動揺は隠せず、とても意気消沈していました。奥様からは、ご夫妻が病院の担当医師からがん告知を受けた際の会話の様子を語って頂きました。
「あれほど定期的に健康診断や人間ドックを受けて下さいと、ずっと昔から言ってきたじゃありませんか。私の言うことを無視するからこうなるのですよ! がん保険は入っていましたよね?」と、医師の前で奥さんはつい大声を上げてしまったそうです。
それに対して、「何だって!? そんなことを言うけど、お前だって…。俺の体のことより保険のことを心配するのか?」と言い返すAさん。こうしてだんだんと夫婦2人で声を荒らげ始めて、とうとう夫婦ゲンカが始まってしまったそうです。
結婚以来、夫婦喧嘩らしい喧嘩はほとんどしたことがないというAさん夫妻でしたが、Aさんのがん告知をきっかけに、お互いの非を責めるような言い合いをするようになりました。けっして、本心からお互いを責める気持ちがあるわけではなく、ショックのあまり、がんという病が相手を傷つけるような物言いをさせているのだろうと筆者は思いました。
難病と戦う大きな力 夫婦の絆
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初期がんであれ進行がんであれ、一度がんに罹患すると、完治まで長い年月がかかり、場合によっては、生涯再発のリスクを抱えて、精神的な不安と治療費の心配を余儀なくされるケースが多いでしょう。
Aさんは数年前に大手企業を早期退職し、それまで蓄えてきた預貯金や株式や投資信託、そして退職金を合わせると、数千万円単位の金融資産を保有していることから、当面の治療費や生活に支障をきたすことはない状況でした。
ただ、これから闘病していく中で、「年金受給額が今後減額されるかもしれない、治療費を含めて老後生活資金が不足することはないだろうか? 趣味の旅行やゴルフがこれまでのように楽しめなくなったら生きがいがなくなってしまうのではないか?」と不安になっている様子です。奥様からも「あれだけ頼りがいのあった夫が、信じられないほど弱々しくなった」と嘆いていました。
Aさんご夫妻が、がんと向き合って闘病をしていく中、FPとしてできることは、長期で発生することが想定される治療費を、生涯資金収支表(キャッシュフロー表)にしっかりと反映させて、どの時点で、どのような状況下で、老後生活資金が不足する事態になりうるのかをつまびらかにして差し上げることと、もし資金不足が生じそうであれば、現時点でどのように準備し対処すればよいかを助言することです。
でも、これから闘病をしていくAさんご本人と、それを支える奥様にとって、治療費や当面の生活資金のやり繰りに目処がつきさえすれば、それでFPとしての役割を果たしたといえるのだろうか?
Aさんのがんが完治することが一番望まれることですが、進行がんであることを踏まえると今後の残された人生をご夫婦で充実したものにしてもらいたい、生活の質(Quality of life)を大切にした余生を送って頂きたいと考える様になりました。手術や投薬治療のために入退院を繰り返すことはもちろんのこと、食事制限や運動の制約を医師から指導されることもある中で、いかに有意義に趣味や生き甲斐を持って生活して頂くことができるのか?
そこで、あるエピソードをAさんご夫婦へお話しました。筆者の友人のお父様(60代後半)ががん告知を受け、余命半年~1年程度と宣告されました。しかし、医師の指導のもと、身体に無理のない範囲で、治療を受けながら体調の良い時に、趣味のゴルフをご夫婦で楽しむ生活を送ったところ、その後4年余りも生き永らえることができました。もし、治療に専念するためとはいえ、病院のベッドで静かに過ごしてもらいたいと配偶者である母親が望んでいたら、本人は生き甲斐を持てず、余生はずっと短かっただろうと友人は語っていました。
Aさんの加入している終身保険にがん特約はついていたものの、高度先進医療に対応したがん保険ではありませんでした。しかし幸いにも、抗がん剤投与や手術、入院費用は公的保険の範囲内でしたので、想定を超える高額な医療費は当面発生しない見込みです。300万円~400万円程の高額自己負担が必要とされる高度先進医療に相当する「陽子線治療や重粒子線治療」は、主治医の判断によれば、Aさんには必ずしも効果的な治療方法ではないとのことです。
主治医を信頼し、治療方針に納得しているからこそ、いたずらにセカンドオピニオンに頼ったり、不安のあまり他の治療法をいくつか試したりすることはされませんでした。Aさんは治療に専念する生活を送る中、体調の良い時には、主治医の了解を得たうえで、趣味のゴルフを楽しんでいます。奥様も10数年ぶりにゴルフを再開されて、ご夫婦でコースに出てラウンドプレーするようになったとのこと。ご夫婦の絆がさらに深まり、いきいきとしたAさんの表情が戻ってきたようです。
もし、パートナーががんになったらあなたは何をしてあげられますか?
あなたががんになったらパートナーに何をしてもらいたいですか?
私たち誰もが、考えるべき重要なテーマです。末期がんという難病と戦う大きな力を、夫婦の絆は与えてくれる。そして、Quality of lifeを大切にした生き甲斐のある残り人生を送ってもらいたい。そのために、治療費や生活資金準備のためだけではない、ご本人とパートナーにとって充実した「終末ライフプラン」をFPとしては提案したいものです。(執筆者:完山 芳男)