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出産退職の経済損失 1.2兆円
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第一生命経済研究所のレポート(pdf)を拝読し、一石投じたくなりました…投じます。
いや、別に第一生命さんだけが悪いんじゃないんですけどね。
ワークライフバランスをこういう切り口で問題視するのが、今ははやりのようですから。
レポートの内容を簡潔にまとめると、以下のようになります。
・ 出産を機に退職をする人(専業主婦になる人)が依然として多く、2017年には20万人(出産した母親の21%)になります。
・ 彼女たちが退職しなかった場合の合計所得がおよそ1.2兆円ですから、この出産退職はGDPに1.2兆円の損失を与えていることになります。
・ さらに、彼女たちが60歳になるまで退職しなかった場合と、退職して再就職した場合を比べると、12.1兆円の経済損失になります。
・ 保育園の拡充や育児休業制度の利用促進によって、この経済損失は緩和できます。
労働者が専業主婦になることを「経済損失」と見なすのに異議あり
私が反論したい点を端的に言えば、こうなります。
いや、ずっと前から言っているんですけどね。
まぁ私などが言ったところで誰も聞いていないことには、異論を差しはさむ余地のないことですが。
はい。専業主婦は生産しています。
特に出産によって「保育」というサービスの需要が生じたわけで、これを供給しないのは人権侵害というか人でなしですから、一生懸命このサービスを生産しています。
子どもが生まれてしばらくは、ほんとうに休みなしです。
休みなしというのは、1週間に休日なし、1日に休憩なしということです。
慣れてきて夫が協力してくれれば、だんだん休めるようになりますけどね。
そして専業主婦は「保育」とともに、「家事」や「地域付き合い」など、ゆくゆくはもしかしたら「介護」というサ―ビスも生産することになります。
ここをしっかりと区別しなければならないのですが、それは確かに金銭の移動がないので所得を生まず、それゆえGDPには計上されません。
しかしそれは明るみにならないというだけで、確かに存在している経済活動なのです。
関連記事:専業主婦の賃金はゼロでも生産はゼロではない。自家生産のありがたみを考える。
所得やGDPの減少であっても、経済損失ではありません
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所得やGDPなどというモノサシを選び、無償で生産されている「保育」、「家事」、「介護」などを「経済活動」と見なさない見方がまかり通っているのが、悲しいです。
高度経済成長は、企業に滅私奉公する男性会社員、そして彼らの家事育児を専業主婦が一手に支えるという体制で実現したのでした。
このレポートのような見方でずんずん議論が進めば、数字に計上されない生産活動がなかったことにされ、「もっと働けるでしょ」という話になるのではないでしょうか。
その論法では、家事育児だけでなくサービス残業だって経済活動だと見なされません。
そして働いているのに「もっと働けるでしょ」と追い込まれるんです。
日本人、死にますよ。その前に、幸せじゃなくなります。
専業主婦は確かに非効率
ただし私は、専業主婦による家事育児が経済損失を生んでいるという意見を100%は否定できないと考えています。
なぜなら専業主婦の生産活動は効率が悪いというのは事実だからです。
だって、第一子を出産して退職した人が保育するのは、多くの場合1人の赤ちゃん。
一方、保育所では0歳児3人につき1人以上の保育士の配置が基準です。
その差、3倍。
私の実感ではきょうだいは2~3人のご家庭が多い。
つまり1人の専業主婦が同時に保育する子どもは2~3人。
一方で保育所の基準は、3歳児で児童20人につき保育士1人以上、4、5歳児だと30人につき1人以上となっています。10倍くらいの開きがありますね。
主婦が育児以外にも家事などサービスを担っていることを差し引いても、やはり1人で生産する保育の量は少ないのではないでしょうか。
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専業主婦は非効率で生産性が低いと言える
これは家事でも同じで、例えば家事代行サービスに料理を頼むと、短時間に信じられないくらいのおかずを作ってくれます。
これがプロの業、そして分業の威力ですね。
それなら主婦である私は外で働いて、そのお給料で家事代行サービスを雇った方がまちがいなく効率は良い。
おお、そうすれば私の所得も消費もGDPに計上できますね。
どこまでも効率重視で良いのでしょうか
しかし、そんな非効率な生産活動ですが、それがそんなにいけないのかとも思うのです。
たとえば多くの農家の方々は、出荷用とは別に、農地の片隅で自分たち用の農作物を育てておられます…。出荷用とは、ちょっと異なる栽培方法で。
「自分たち用のそれを売ってくれよ」なんてテレビタレントが言っていたのを思い出しました。
またグルメ雑誌では時折、「有名店のまかない特集」なんてものが組まれることがあります。
消費者として、生産者が自分たち用に作っているものって、魅力的ですよね。
なぜでしょうか。
それは、消費者たちが企業的で効率的な生産活動に、ある種の疑いを抱いているからです。
言いかえれば、非企業的で非効率的な生産物は、魅力的なんです。そこには価値があるんです。
もっと言いましょうか。結婚披露宴の余興やスライドショーは、手作りである方が場を温めることが多い。
ぜったいにプロが作ったものの方が品質は良いはずなのに、失敗やアラだらけの素人の努力賞に新郎新婦や参列者は涙する。
プロポーズの言葉だって、コピーライターに依頼したほうが絶対に良いものが出来るのですが、それがバレたら千年の恋も冷めますよね。
遠足のお弁当はどうでしょうか。「母さんが~よなべをして~」なんて歌もありましたね。
「おふくろの味」なんて、もはやブランド的な価値をもっているのではないでしょうか。
はい。効率は大切なのですが、効率ばかりだとおもしろくないのです。おもしろくなくて良いのでしょうか。せっかく生まれてきたのに。
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多様な希望がすくい上げられるように
レポートに話を戻します。
レポートでは、出産退職した人の再就職先が非正規雇用の低賃金だとして、その60歳までにわたる経済損失を算出していました。
ここもヘンです。いやそれが現実なのですが、変えましょうよ。雇ってくださいよ。
ずっと就業していた人たちと同じような待遇で。
同一労働同一賃金はどこにいったのでしょうか。
そりゃあ確かに、再就職してすぐに雇用され続けていた人と同じような戦力にはなるようなことは絶対にありません。
それならせめて、新入社員と同じ待遇にしてくださいよ。どうせそこから20年以上働くのですから。
それなら学ばせてくださいよ。
学びますよ。小中高生のお母さんが大学で勉強だなんて、子どもたちにも刺激的でなんだかおもしろそうです。
もちろん学んだ暁には、新入社員と同じ待遇ですよ。
それとも主婦経験があるのに学生経験しかない人と同じ待遇にしろという主張は、安売りしすぎでしょうか?
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みんな違って、みんな良い
世の中には、子育てに集中したい人や子育てを終えて再就職したい人がいれば、子育てをしながら働き続けたい人もいます。みんな良い。
子どもを生まない選択をした夫婦もいれば、シングルを貫く人もいます。それも、みんな良い。
みんなが平等に努力できて、おもしろく生産活動を担える社会をめざして働きたいです。次世代のためにも。(執筆者:徳田 仁美)