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家事と育児のライフバランスは崩壊
午前中にはあれもこれも済ませておきたいのに、子どもが私を呼ぶから家事が進まない。
1人で遊んでくれているからと台所仕事を進めていたら、おもちゃ箱をひっくり返して中身をばらまく。
やっとのことで部屋を片付けて掃除機をかけようとしたら、何が気に入らないのか抱っこをせがむ。
そして大人は私1人。しかも毎日。
たまりませんよね。
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ワークライフバランスなんて言われていますが、家事と育児、ライフバランスだってとるのはたいへんなのです。
そしてイライラは無駄遣いのもと。
そんなお悩みに、提案です。
家事と育児は同時進行できます
どうするか。
子どもといっしょに家事をすればいい。
ただそれだけです。
いや家事全部というのは難しいですよ。
刃物や火を使うのはやっぱり危ない。
だけど、入園前の幼児にだってできる家事はたくさんあるのです。
炊事:食材を洗う、ちぎる、つぶす、まぜる。
掃除:おもちゃなどを片付ける。床を拭く。風呂を磨く。
特に彼らが得意なのは、中でも「片付ける」でしょう。
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わが子は一歳半くらいから魔法の言葉「ないない」を覚えました。
(関西弁かしら?「片付ける」という意味です)。
「これ、ないないして~!」でないないしてくれます。
重要なのは、
・分かりやすく手の届きやすい場所にしておくこと
でしょうか。
なお「ちゃい」もわが子は好きです。(やはり関西弁でしょうね。「捨てる」という意味です。)
もちろん子どものことですから時間はかかります。
しかしそれは、「家事時間」として勘定すればよいこと。
「育児時間」と勘定するなら、少しでも家事が前に進むことは、それだけでトクなのです。
家事は労働。育児は新人研修。
私が常々言っていることですが、家事は労働です。
価値を生み出します。
専業主婦は労働者です。
価値を生み出す人です。
専業主婦をもつ夫だって、帰宅すれば家事は担っていただきます。
だってみんなで家事をすれば、それだけたくさんの価値を生み出せますから。
ということで、家庭は仕事場なのです。
そして子どもは新入家族です。新人です。
新人が仕事場に入ったなら、することは1つ。
新人研修でしょう。
もちろん初めは使い物になりません。
どんなに懇切丁寧に教えても、自分なりにしか仕事を学んでくれず、私の思い通りには仕事をしてくれません。
それでも、山本五十六の
です。
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教えて、させて、ほめる。これで、できることからできるようになってもらえば良いのです。
(これは夫にも言えることです。)
そして子どもたちが家事を担えるようになることは、専業主婦である私が、外で稼ぐチャンスを膨らましてくれるわけです。
だって、子どもなし夫婦の共働きが可能なんです。
ならば、夫婦は働き子どもは学び、その全員が家事を担うという家族の形が見えてくる。
長期戦ですが、この効果ははかり知れません。
今は専業主婦の私ですが、子どもたちが身辺自立したなら130万円や150万円の壁なんか気にせずガシガシ働きたいのです。
リカレント教育の受け皿も広がりそうです。
専業主婦でいるのは、子育てに集中している今だけなんですよ。
「やればできる!」の気持ち
英語塾や体操教室など幼児向けの習い事のチラシを眺めていると、必ず出てくるのがこれです。
「達成感や自己肯定感を得る」
どなたでも見たことがあるのではないでしょうか?
しかし、私はいつも思うのです。
それってわざわざ特別なことをしなけりゃならないのか?
自宅では達成感や自己肯定感は育まれないのか?
子ども、特に小さな子どもたちは、けっこう大人がやっていることをそのまましたいのではないでしょうか?
私はあまり詳しくありませんが、幼児教育で静かに注目されているモンテッソーリ教育では、家事のようなことを通して子どもの成長を促していくとのことです。
私が感動してべた褒めしてしまうので、それが真に自発的なものなのかは分かりませんが、わが子は家事に達成感を得てくれていると感じています。
「承認欲求」なんて言葉もありますが、わが子は承認も何も、わが家に不可欠な仕事をこなしてくれているのです。
家事を任せることは、習い事をしのぐ子育て効果があると思います。
ならば習い事代、無駄じゃあないでしょうか。
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完璧でなくて良い
確かに、子どものやることは遅いです。
ともどかしい気持ちになってしまうこともしばしば。
それに、子どもの家事はお世辞にも良い仕上がりではありません。
絶対に私がやった方が美しくできます。
しかし、そこをぐっとガマンするのが大切だと思っています。
なぜなら、
つまり逆戻りがないからです。
そう考えると、トータルだと子どもにさせた方が早いということが多いのです。
それに子どもの家事がつたないというのは発想の逆転が必要でしょう。
そんなに完璧な家事、誰が求めているんですか?
子ども? いやいや本人は大満足です。
夫? いやいや「子どもがやった」というだけでメロメロとハードルが下がります。
ということで、残りは私だけなんですよね。
子どもだって、大切なわが家の構成員。
彼らの仕事はわが家の大切な一部。
そう考えれば、多少うまくいっていなかろうと、彼ら込みで完成した家事が、わが家の家事の真の姿だと思っています。(執筆者:徳田 仁美)