
お盆の帰省で親と顔を合わせると、相続のことが頭をよぎる方も多いのではないでしょうか。相続対策は、財産が多い人だけのものではありません。遺言を書いたり、生前贈与をしたり、家族に財産管理を託したりする多くの手段は、本人に十分な判断能力があることが前提です。「まだ元気だから大丈夫」と思っているうちに選べなくなることもあるため、今のうちにできる備えを整理しておきましょう。
生前対策で備えたい3つのリスク
相続をめぐる困りごとは、大きく3つの場面で起こります。生前対策とは、この3つに前もって手を打っておくことです。
1つ目は、財産の分け方をめぐるトラブルです。遺言がない場合、財産の分け方は相続人全員の話し合い(遺産分割協議)で決めます。合意できないときの目安になるのが法定相続分で、配偶者と子が相続人の場合は配偶者2分の1・子2分の1(子が複数なら全員で2分の1)です(国税庁 No.4132)。ただ、自宅のように分けにくい財産が中心だと割合どおりに分けること自体が難しく、話し合いがこじれる原因になります。
2つ目は、相続税の納税資金です。相続税の申告と納税の期限は、相続の開始があったことを知った日の翌日から10か月以内で、税金は金銭で一度に納めるのが原則です(国税庁 No.4205)。要件を満たせば延納(分割払い)や物納という方法もありますが、財産が不動産に偏っていると期限までに納税資金を用意できないおそれがあります。相続税の基礎控除額は「3,000万円+600万円×法定相続人の数」で、法定相続人が3人なら4,800万円です。ただし、課税の有無は、みなし相続財産や加算対象贈与などを含めて計算した各人の課税価格の合計と基礎控除額を比較して判定します(国税庁 No.4152)。見た目の遺産額だけで申告の要否を決めず、まず課税価格を整理することが節税対策の要否を考える出発点になります。
3つ目は、認知症です。契約内容を理解して判断する能力が不足すると、本人が単独で贈与や不動産の売却を有効に行うことが難しくなります。判断能力の程度や本人の利益に応じ、後見・保佐・補助による同意や代理の仕組みはありますが、法定後見制度は本人の財産を守るための制度です。税金対策のための贈与など本人の財産を減らす行為は原則として認められません(裁判所資料)。希望に沿った備えは、判断能力が十分なうちに検討しておく必要があります。
生前対策になる6つの手段
生前対策の代表的な手段は次の6つです。ねらいごとに向き不向きがあるため、まず全体像をつかんでおきましょう。

遺言書は、財産の分け方を自分の意思で決めておける基本の手段です。相続財産や相続人が多い家庭ほど効果を発揮しますが、後述する方式のルールと遺留分への配慮が欠かせません。
生前贈与は、生きているうちに財産を渡して将来の相続財産を減らす方法です。暦年課税では、1年間にもらった財産の合計が110万円以下なら贈与税はかかりません(国税庁 No.4402)。ただし亡くなる前の一定期間の贈与は相続税に足し戻されるルールがあり、後の章で詳しく触れます。
資産の組み換えは、財産の形を変えておく対策です。複数の不動産をあらかじめ売却して現金化しておけば、家族が分けやすくなり納税資金にも充てられます。評価額や税額への影響は個別性が大きいため、実行前に専門家へ試算を依頼すると安心です。
家族信託は、財産の管理を信頼できる家族に契約で任せる方法です。管理を任せる相手や対象の財産を契約で決められる柔軟さが持ち味です。任意後見制度は、将来に備えて財産管理などを任せる人をあらかじめ自分で選んでおく制度で、契約は公正証書で結ぶ必要があります(法務省)。
生命保険は、死亡保険金に「500万円×法定相続人の数」の非課税枠がある点が、相続対策として使われる理由です(国税庁 No.4114)。受取人を指定して渡したい相手に直接残せる一方、受取人が相続人以外の場合や相続放棄をした場合には非課税枠は使えません。
遺言書は「方式」と「遺留分」でつまずきやすい
法的に有効な遺言書には民法の方式ルールがあり、これを外すと無効になります。自筆証書遺言は全文・日付・氏名を自書して押印するのが基本ですが、方式緩和により、添付する財産目録はパソコンで作成したものや通帳のコピーでもよくなっています(各ページに署名押印が必要・法務省)。
作成した自筆証書遺言は、法務局(遺言書保管所)に預けられます。自筆証書遺言書保管制度の手数料は1通3,900円で、預ける際に方式の外形的なチェックを受けられるうえ、家庭裁判所の検認も不要になります(法務省)。紛失や書き換えの心配を減らせる、費用を抑えた選択肢です。方式に不安があれば、公証役場で公証人に作成してもらう公正証書遺言も検討しましょう。
見落としやすいのが遺留分です。兄弟姉妹以外の相続人(配偶者・子・直系尊属)には、遺言でも奪えない最低限の取り分(遺留分)が保障されています。遺留分を侵害する遺言も無効ではありませんが、侵害された相続人は金銭の支払いを請求できます(遺留分侵害額請求・法務省)。特定の人に多く残す遺言を書くなら、ほかの相続人の遺留分と、請求を受けたときの支払原資まで考えておくとトラブルを防ぎやすくなります。
生前贈与は「持ち戻し」のルール変更を押さえる
生前贈与で注意したいのが、生前贈与加算(いわゆる持ち戻し)です。相続などで財産を取得した人が、亡くなった人から相続開始前の一定期間内に暦年課税の贈与を受けていた場合、その分は相続税の計算に加算されます。年110万円以下で贈与税がかからなかった贈与も加算の対象です(国税庁 No.4161)。逆にいえば、相続や遺贈で財産を取得しない人が受けた贈与は、原則としてこの加算の対象になりません。
この加算の対象期間が、2024年1月1日以後の贈与から段階的に「3年」から「7年」へ延びます。整理すると次のとおりです(国税庁 No.4161)。

なお、延長された4年分(相続開始前3年より前)の贈与は、総額100万円までは加算されません。駆け込みの贈与ほど足し戻されやすくなったため、渡すなら早くから計画的に、が新ルールの前提です。
もう1つの選択肢が相続時精算課税です。原則60歳以上の父母や祖父母から18歳以上の子や孫への贈与で選択でき、累計2,500万円までの特別控除があります。2024年1月1日以後の贈与からは、これとは別に年110万円の基礎控除が新設され、この範囲内の贈与は贈与税がかからず、相続財産にも加算されません(国税庁 No.4103)。ただし一度選択すると、その贈与者からの贈与は暦年課税に戻せないため、どちらを使うかは慎重に検討しましょう。
あわせて、贈与の事実を後から示せるようにしておくことも大切です。贈与契約書を作る、銀行振込で記録を残すなど、「いつ・誰に・いくら」を客観的に残しておきましょう。
認知症に備える手段は「なる前」と「なった後」で違う
認知症への備えとしてよく比較されるのが、家族信託・任意後見制度・法定後見制度の3つです。家族信託と任意後見制度は判断能力があるうちに自分で準備しておく手段、法定後見制度は判断能力が低下した後に家庭裁判所が後見人などを選任するしくみです。
前提として、認知症と診断されただけで、直ちに銀行口座が使えなくなるわけではありません。ただし、本人の意思確認ができないと金融機関が判断すると払い戻しなどの取引が制限されることがあり、対応は金融機関ごとに異なります(全国銀行協会)。こうした事態に備えて、お金の管理を託す道筋を先に用意しておくのが家族信託や任意後見制度です。
任意後見契約は、結んだだけでは効力が生じません。実際に判断能力が低下した後、家庭裁判所が任意後見監督人を選任した時から効力が生じ、任意後見人が契約で定めた事務を本人に代わって行います(法務省)。
一方、準備のないまま判断能力が低下した場合の受け皿が法定後見制度です。開始されると、本人の判断能力が回復するか本人が亡くなるまで手続きは続き、家族の意思や本人の希望でやめることはできません(裁判所)。申立て時の手数料が必要なほか、後見人などが報酬付与を申し立て、家庭裁判所が審判で認めた場合には、本人の財産から報酬が支払われることがあります。希望に沿った財産管理をしたいなら、元気なうちに任意後見契約や家族信託を検討しておくことが大切です。
進め方は財産の棚卸しから。家族が集まる機会に共有を
生前対策は、財産の把握、現状の分析、対策の選択という順番で進めるとスムーズです。
はじめに、預貯金・不動産・有価証券などの財産をリストにまとめます。不動産の名義などは、法務局で取得できる登記事項証明書(登記簿謄本)で確認できます。使っていない銀行口座やクレジットカードの整理も、残された家族の負担を減らします。
不動産がある場合は、相続登記の義務化も知っておきたい変更点です。2024年4月1日から、相続で不動産を取得したことを知った日から3年以内の相続登記の申請が義務になり、正当な理由なく怠ると10万円以下の過料の対象になります。施行前に相続した未登記の不動産も対象で、こちらは2027年3月31日までに申請が必要です(法務省)。親の代の相続で登記が止まっている土地がないかも、棚卸しの際に確かめておきましょう。
財産の全体像が見えたら、「納税資金は足りるか」「分けにくい財産はないか」「誰に何を残したいか」を整理し、状況に合った手段を選びます。そして考えたことは、家族にも共有しておきましょう。お盆や年末年始など家族が集まる機会は、こうした話を切り出す良いタイミングです。借入があるなら正直に伝えておくことも重要です。相続放棄は、原則として自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内に家庭裁判所へ申述する手続きのため(裁判所)、事情を事前に知っていれば家族が期限内に落ち着いて判断できます。
生前対策は元気なうちに、家族と一緒に
生前対策は、遺言書・生前贈与・資産の組み換え・家族信託・任意後見制度・生命保険の6つの手段から、家庭の事情に合うものを組み合わせて進めます。共通するのは、判断能力があるうちにしか選べないという点です。まず財産の棚卸しから始め、迷ったら税理士や司法書士、弁護士などの専門家に相談しながら、家族と話し合って一歩ずつ形にしていきましょう。


